素朴な疑問です。
漢方薬について。
良く患者さまに尋ねられることですが、
何でこんなものを薬に?、という生薬ってたくさんあります。
例えば石膏。
石です。普通に石の石膏。
あとは牡蛎とか。カキの貝殻。
ちゃんと効きます、でも、
何でそんなものを飲もうと思ったのか?
昔の人のやることは、奇想天外。
私も自身も、そう思います。
・
飲むこれ普通、という生薬たち。
たくさんあります。
今でもたくさんありますが、
きっと昔は、もっともっと、たくさんありました。
医療はその歴史をたどれば「占い」に行きつきます。
祈祷や呪術に用いられた品々、それは今でいう所の薬と同じ扱いでした。
病を祓うための品物。
古い薬の一つに「酒」がありますが、酒は元来祈祷に用いられた道具です。
医療がちゃんと根拠を持つ形になったのはごく最近のことです。
それまでは今考えれば、医療とは程遠い、怪しいものばかりでした。
迷信や俗説。何これ?と思うような薬たち。
今よりもずっと多く、その何十倍も、何百倍もあった。
そして、一つずつ淘汰されていった。
時代とともに、怪しいものたちは自然と無くなっていきました。
その結果、効果のあるものだけが残り、
今私たちが目にしているのは、
淘汰という何重ものフィルターによって、濾過されてきた薬たちです。
理由は分からなくても、なぜか効果はある。
今の漢方は、歴史を経ることで、
そういう生き残り続けた品々によって、支えられています。
・
ここまで、東洋医学のお話です。
なんて事はない、皆さん分かりきっているお話です。
神秘的というイメージ、不思議というイメージ、
少なからず東洋医学にはそういう印象がある一方で、
今でも残っているものに関しては、どこかで薬として認められている印象もあります。
迷信から、医療へ。
不確実なものから、確かなものへ。
ただ、このお話、
なにも、東洋医学だけに言えることではありません。
西洋医学も同じ。
昔は、とんでもない医療がたくさんありました。
漢方と同じです。そんなことをしていたの?という医療。
例えば注射鍼の使いまわしによる肝炎。
強い薬による重篤な副作用。
時に人を生かすべき医療が、人命に牙を向いてきた。
枚挙にいとまなく、そういう歴史が西洋医学にもあります。
しかし、その時々の医療を責めることはできません。
なぜならば医療は、西洋・東洋を問わず、
歴史を経ることでしか、成熟することが出来ないからです。
・
私たちはまず、
現代に生きていることを、「幸運」だと思うべきです。
昔は治らなかった病が、西洋医学の進歩により治るようになった。
今まで出来なかった治療が、歴史を経ることで出来るようになってきた。
効果と安全性、それが時間とともに成熟されてきたという事実。
そしてそれは、漢方も同じです。
淘汰というフィルターを通ってきたからこそ、
安全で、現代においても意義のある、漢方薬が用意されています。
医療が世の中にフューチャーされる時、
往々にして、その多くが問題として話題になります。
薬害や、医療ミス。
あってはならないことです。防ぎ得ることも多かったと思います。
ただその裏で、その他さまざまな分野で、
医療は昔にくらべて、確実に進歩し、多くの患者さまを救っています。
西洋医学も、東洋医学も、医学である以上は歴史が成熟させる。
だからこそ、私たちは幸運です。
歴史を勉強していると、客観的にそう感じます。
臨床を行っていると、実感としてそれを理解できます。
現代に生きるていることの、ありがたさ。
そしてこれはきっと、医療だけのことではありません。
私たちはきっと、現代に生きているだけで、
さまざまな側面で、「幸運」なはずです。
・
・
・