使える処方と、そうでない処方。
漢方治療を行っていると、処方に使える・使えないの別があるということに、気が付くようになります。
この病だったら、この人だったら、この処方が使える。すなわち効く、と。
患者さまとの問診の比較的早い段階から、そういう処方が想定できるようになってくるのです。
経験を積み重ねることは、やはり重要です。自然とそれが分かるようになってきます。
しかし近年、私はそこにこそ一つの問題を感じています。
この感覚は、必ずしも治療にとって有益にならない時があるからです。
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「使える処方」を知ることは非常に大切なことですが、
「使える」という感覚だけに頼ってしまうと、失敗することがあります。
「使える処方」は私が経験的に「使えるようにした処方」ということに過ぎません。
そして「使えない処方」は、私が未だ「使い方を知り得ていない処方」でもあります。
経験を拠り所にするということの難しさがここにあります。
経験は強い武器であると同時に、自分を縛る縄にもなります。
経験を積むということは、大切である一方で、
自分を不自由にする第一歩目でもあるのです。
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そうであるならば、良い治療者の条件は「変化を繰り返すことができる」ということです。
経験は経験で大切、しかしその経験に拘泥すれは、変化は止まります。
「新たに変化を繰り返せる状態」こそが、最も治療効果を上げやすい状態だと思うのです。
だから「使える処方」を直線的に想定しない。
大変であっても、問診の中で必ず紆余曲折を経ながら、解答へとたどり着かなければなりません。
「すぐに解答にたどり着かないからこそ、深みが出る。」
確かイチローだったと思います。深くうなずくことのできる口訣です。
多分、この感覚は業種が違っても感じるものなのではないかなと。
先を予測できるようになった時だからこそ、突き当たる壁だと思うのです。
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正しさを模索することの難しさを痛感しています。
私は「保守的」な考え方をする方だと自覚していて、
そのことは早い段階で、師匠にも気づかれています。
「坂本くんだから言う、変化し続けなければダメだよ」と。
ことあるごとに、言われてきたのです。変化し続けることが、大切なんだよ、と。
3年前に言っていたことを、臆面もなく捨てること。
今も同じように言っていたら、それは嘘だということ。
止まっていては、本物にはなれないということです。
たびたび言われてきたこの訓示は、経験を重ねる毎に染み入るようになってきました。
経験の蓄積と不自由さ、これをどう両立していくのか。
「使える処方」という、積み重ねた経験との真っ向勝負。
それが、これからの自分に求められているようです。
痛感しました。
わたくし、本日42歳になります。
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