融通無碍のカラクリ

2024年02月05日

漢方坂本コラム

漢方で有名な処方に「六君子湯りっくんしとう」があります。

中国明代に作られたとされている、押しも押されぬ名方の一つです。

食欲がないとか、胃もたれしやすいとか、胃腸に不具合のある方に使われることが多く、

内科領域でしばしば処方されています。人によっては、とても良く効く優れた薬です。

脾胃気虚を補う基本処方「四君子湯しくんしとう」と、

湿痰という胃腸の水分代謝からくる吐き気などを止める「二陳湯にちんとう」。

両者を合わせた構成を持つのが「六君子湯」。

効果と名称とが、非常に分かりやすくつながっています。

中医学理論の王道というか、基本処方だと言えるでしょう。

しかし私は、

最近この「六君子湯」をほとんど使わなくなりました。

この薬が効かないからとか、そういう訳ではありません。

この場合だったら六君子湯が使えるなと、感じる時はあります。

でも使わなくなりました。

脾胃気虚とか湿痰とか、そういう考えからをしなくなったからです。

脾胃気虚とか湿痰、

それってホントは何なの?と。

そういう疑問が、ある時から湧いて出ました。

五臓とか気血水とか、そういう考え方って何か腑に落ちない、と感じたからです。

とても分かりやすいし、漢方医学の基礎解釈でもあります。

でも、何となく腑に落ちない。

臨床を続け、日を経るごとに、その気持ちは強くなりました。

その理由は多分、

「言葉で分からされている」と、感じたからだと思います。

胃腸を改善するのに、六君子湯の構成は大変分かりやすく感じます。

四君子湯に入る人参や甘草、白朮や茯苓は、確かに胃腸を元気にさせそうな生薬ばかりです。

二陳湯もそう。半夏や生姜・陳皮など、吐き気や胃もたれに確かに効きそうです。

でも、何かおかしい気がする。

「この構成、分かりやすいでしょ?使いやすいでしょ?効きそうでしょ?」と、

説得させられている気がしたのです。

確かに効果的で、使いやすい。

ならば、それで良いじゃあないかと。

言われれば、その通りです。でも、使っていても何かモヤモヤします。

何故、効くのか。

それがちゃんと、分かっていなかったからです。

六君子湯が効くよと言われた。だから使った、そしたら効いた。

それで良いかも知れませんが、

それは果たして、六君子湯を使いこなしていることになるのでしょうか。

私はそこに、疑問を感じ続けました。

そこから私は、六君子湯の方意(方剤の意味)を知ろうと努めました。

そして人体にとっての胃腸とは何かを把握しようと努めました。

考え続けて徐々に徐々に、何となく分かっていきます。

人参・甘草・白朮の意味と、そこに茯苓が入る意味。

そしてなぜ半夏が必要なのか。例えばそういう一つ一つの意味を、臨床を通して確認しながら、感じるものが生まれていきます。

そうこうしているうちに、ゆっくりと六君子湯の理解が深まっていきます。

この方剤の核のようなものに、だんだんと近づいていきます。

そしてある時、気が付きます。

これ、別に六君子湯を使わなくても良いんじゃないか、と。

概念。

漢方は、概念に支えられた医学です。

すなわち考え方が変われば、治療が変わる。

イメージで治療するという、東洋医学の宿命だと思います。

正解はたくさんあります。

六君子湯だって、効けばそれが正解です。

だから処方は何だって良いんです。処方で治すのではなく、漢方は考え方と概念とで治癒へと導いています。

正解は、考えから方で違う。

だからこそ、漢方では考え方の構築が何よりも大切です。

より簡潔な治療を、

より早く効く処方を、

より安全に適応する薬を、

そして、より的確に響く運用を。

そういう治療を漢方家一人一人が、概念を駆使して考えていく。

だから治療には、「個性」が生まれます。

私が今までお会いしてきた先生方も、非常に個性豊かな運用を行っていました。

まだまだ及ばぬ私ですが、

最近、少しづつ感じています。

融通無碍ゆうずうむげ、そのカラクリを。

少しだけ、チラ見できているような感覚です。



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※コラムの内容は著者の経験や多くの先生方から知り得た知識を基にしております。医学として高いエビデンスが保証されているわけではございませんので、あくまで一つの見解としてお役立てください。

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