最近、漢方の書籍を読み直す作業が楽しい。
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昔、未だ臨床を始めることが出来なかった20代中盤まで、
とにかく漢方の書籍を読み漁っていました。
読んで、読んで、読みまくっていたという記憶があって、
神田の古本屋にも良く行きました。そのころは、人を診れないもどかしさがあったのだと思います。
こんなことを言うと、たくさん勉強してきました、と聞こえてしまうかも知れませんがそういうことでなくてですね。
お恥ずかしながら、当時読んでいた本の内容を覚えているかと問われれば。多分3割くらいか・・・。
臨床を始めてからというもの、本を読むという学習方法が徐々に遠のいていき、
本の使い道は「たくさん買ったな〜・・」と本棚を眺めて感慨にふけるというくらいになっていました。
机上の学習と実際の臨床との違い、といくらか割り切っていたのだけれども、
最近、ふと手にとった本を読んでみたら、これは、とばかりに面白かった。
この本、こんな内容だったっけか?、とちょっと驚きました。
そこにはとても共感できる内容や、なるほどなと思わせる文章があって、
その内容に驚いたというよりも、昔は全く理解できていなかったな、ということに気づき、驚きました。
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例えば、『古方の薬味』という、多分、マニアックな本がありまして、
その中に、矢数有道先生の言葉が書いてありまして。
厚朴、という生薬の働きについて書かれている部分なんですけれども、
「厚朴は釜中から蒸発する水蒸気を除く作用がある。
若し気が滞って、釜にフタをしたような状態になると、
水蒸気は釜中に鬱積して気滞気鬱の状態になる。
それをそのフタを除いて風を送ってやると、
水蒸気がドンドン逃げていって釜中の水は自然と少なくなっていゆく。」
と、書かれている。
読んでも良く意味が分からないと思うのですが、
もちろん、私も全て分かるわけではないのですが、
でも、「ははぁ」と納得するというか、
理解できるというか、共感できる内容だなと思ったのです。
ただこれ、20代の頃は完全にスルーしていた内容でした。記憶さえ無かった。
前に読んでいたはずなのに、初めて読んだくらいに驚きましたから。
そして、この理でいうと、確かに桂枝加厚朴杏子湯とか、厚朴生姜半夏甘草人参湯とか、このあたりの処方の意図が明確になる。
ブワッと広がっていくのですね。理解が。
棚の肥やしにしていてごめんねと、『古方の薬味』に陳謝いたします。申し訳なし。
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読み手が変われば内容が変わる。
どう読むかによって意味は異なる。
わかっていたつもりで、わかっていなかったなと。
やはり、本というものには常に触れておく必要があると感じました。
読んで、考え、読んで、考え、
こういう作業を、これからもずっと続けていくのだろうなと。
先人が残してきた知識。もし我々がそこに上乗せできるものがほんのちょっぴりであったとしても。
そうやって歴史を紡いできた。
雨垂れ石を穿つ。
畏怖を感じます。
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