「狂いそうになる・・・」
実際にそう言われた患者さまのお話である。
治療では訴えられる症状を出来るだけ正確に知る必要がある。
漢方治療では特にその傾向が強い。機器を用いず感じ取らなければならないからである。
したがって便秘一つをとっても、どのように出ないのかを詳しく表現してもらう。
そしてその患者さまは、「狂いそうになる便秘」だと、実際にそう表現されたのである。
便が出ないという不快感を、ただ誇張しただけだろうか。
そうではない。
患者さまの便秘は、正しく、「狂いそうになる便秘」だったのである。
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65歳、女性。
旦那さまに連れられて、よろよろと歩きながら老婦人がご来局された。
顔が赤く上気している。その表情からお困りの様子だとはっきりと知ることが出来た。
昨晩、排便しようとトイレに座り試みるも、
いくら息んでもまったく出ない。
まるで大きなカチコチの石が、肛門を塞いでいるようだった。
お腹が張って苦しい。
出さないと、どうにかなってしまいそうだった。
出したい一心で強く息んだ。
それを何度も何度も続け、しまいには顔がのぼせて火が付いたように熱くなった。
息が苦しくなり、視界がぼやけてきた。
卒倒する寸前だった。実際に数秒気を失っていたかもしれない。
それでも下腹部の方が不快だった。
石を出さなければ、気が狂ってしまいそうだった。
最後は指を入れ、直接掻き出した。
硬い石をほじるように、時間をかけて少しずつ外に出していった。
すっきりとは言い難いが、何とかほじり出せた。
そしてよろよろとトイレから出て、鏡を見ると、
顔の色は赤を通りこして、黒みを帯びていた。
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以上は実際に患者さまがおっしゃられた内容である。
顔の赤味は未だ残り、確かに赤よりも赤黒いという印象だった。
患者さまは若い時から、もともと便秘症だったという。
それが強くなり始めたのが二十数年前で、
ちょうど子宮内膜症のため子宮摘出手術を行なった後からだった。
そして閉経を迎えた頃から、さらに便秘が強くなった。
今までは、市販の薬や病院でもらった下剤で何とか出していた。
しかし今回は、それらを飲んでもまったく効果が無かった。
もし昨晩のことがこれからも続くとしたら、
多分私は本当に気が狂ってしまいます。
患者さまは苦悶の表情を浮かべながら、切実にそうおっしゃられていた。
私はこうお伝えした。
「大丈夫ですよ。この便秘は十中八九良くなります」と。
治療はやってみなければ決して分からない。
しかし私は、この便秘に改善するであろうという印象を感じていた。
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私が感じたその印象は、私自身がつかみ取ったものではない。
今まで漢方の歴史を紡いできてくれた先人たちが、
古書を通して私に教えてくれていたものだった。
「其の人、狂の如く」
漢方には、この症候に用いる名方がある。
最古の処方を収載する聖典『傷寒論(しょうかんろん)』の中には、
江戸・明治・大正・昭和と幾多の患者さまを救ってきたある名方が収載されている。
患者さまのお話をお伺いする中で、
私はある段階から、この処方の適応を想起していた。
「狂いそうになる」という患者さまの表現があったからではない。
「狂」という状態に導かれるまでの道筋が、この処方を想起させたのである。
そしてその道筋には、一切の矛盾が無かった。
矛盾のない一本の線。それが引けた時、古書の中の患者さまが現代に甦ったかのような錯覚さえ覚えた。
漢方治療においては、時にこのような感覚を受けることがある。
美しい古典に宿った、不易の教えだった。
私は最後の確証を訪ねた。
「シナモンは好きですか?」
「シナモン、とても大好きです!ニッキ飴!」
初めて笑顔を見せておっしゃられたその答えを聞きいて、
私は断じて古書の名方を出した。
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それ以来、患者さまに「狂」が起こることは無かった。
服用してすぐに便意をもよおし、一度の息みでスルリと便が出たのだという。
そして次の日朝起きると、顔の赤味が少し引いていた。
不思議と気持ちも落ち着いた。狂いそうになっていた自分が信じられないという様子だった。
「狂いそうになる便秘」、
それは決して大袈裟な誇張ではなかった。
古くからそう表現していた患者さまは実際にいて、
だからこそ古典として、その文言が残されていたのである。
古典には一文字一文字に命が宿っている。そう表現した昭和の漢方家の気持ちが分かる気がする。
時代が移ろうとも、人と病との本質は今も変わらない。そう感じることの出来る経験だった。
服用していると安心だからと、患者さまはこの処方を継続されている。
現在も月に一回、決まってこの処方を取りに来られている。
そして、ご来局された時の柔和なお顔を見ていると、
初めてお見受けした時の表情はもう、はっきりとは思い出せなかった。
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