■症例:便秘・顔のほてり

「狂いそうになる・・・」

実際にそう言われた患者さまのお話である。

治療では訴えられる症状を出来るだけ正確に知る必要がある。

漢方治療では特にその傾向が強い。機器を用いず感じ取らなければならないからである。

したがって便秘一つをとっても、どのように出ないのかを詳しく表現してもらう。

そしてその患者さまは、「狂いそうになる便秘」だと、実際にそう表現されたのである。

便が出ないという不快感を、ただ誇張しただけだろうか。

そうではない。

患者さまの便秘は、正しく、「狂いそうになる便秘」だったのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

65歳、女性。

旦那さまに連れられて、よろよろと歩きながら老婦人がご来局された。

顔が赤く上気している。その表情からお困りの様子だとはっきりと知ることが出来た。

昨晩、排便しようとトイレに座り試みるも、

いくら息んでもまったく出ない。

まるで大きなカチコチの石が、肛門を塞いでいるようだった。

お腹が張って苦しい。

出さないと、どうにかなってしまいそうだった。

出したい一心で強く息んだ。

それを何度も何度も続け、しまいには顔がのぼせて火が付いたように熱くなった。

息が苦しくなり、視界がぼやけてきた。

卒倒する寸前だった。実際に数秒気を失っていたかもしれない。

それでも下腹部の方が不快だった。

石を出さなければ、気が狂ってしまいそうだった。

最後は指を入れ、直接掻き出した。

硬い石をほじるように、時間をかけて少しずつ外に出していった。

すっきりとは言い難いが、何とかほじり出せた。

そしてよろよろとトイレから出て、鏡を見ると、

顔の色は赤を通りこして、黒みを帯びていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上は実際に患者さまがおっしゃられた内容である。

顔の赤味は未だ残り、確かに赤よりも赤黒いという印象だった。

患者さまは若い時から、もともと便秘症だったという。

それが強くなり始めたのが二十数年前で、

ちょうど子宮内膜症のため子宮摘出手術を行なった後からだった。

そして閉経を迎えた頃から、さらに便秘が強くなった。

今までは、市販の薬や病院でもらった下剤で何とか出していた。

しかし今回は、それらを飲んでもまったく効果が無かった。

もし昨晩のことがこれからも続くとしたら、

多分私は本当に気が狂ってしまいます。

患者さまは苦悶の表情を浮かべながら、切実にそうおっしゃられていた。

私はこうお伝えした。

「大丈夫ですよ。この便秘は十中八九良くなります」と。

治療はやってみなければ決して分からない。

しかし私は、この便秘に改善するであろうという印象を感じていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私が感じたその印象は、私自身がつかみ取ったものではない。

今まで漢方の歴史を紡いできてくれた先人たちが、

古書を通して私に教えてくれていたものだった。

「其の人、狂の如く」

漢方には、この症候に用いる名方がある。

最古の処方を収載する聖典『傷寒論(しょうかんろん)』の中には、

江戸・明治・大正・昭和と幾多の患者さまを救ってきたある名方が収載されている。

患者さまのお話をお伺いする中で、

私はある段階から、この処方の適応を想起していた。

「狂いそうになる」という患者さまの表現があったからではない。

「狂」という状態に導かれるまでの道筋が、この処方を想起させたのである。

そしてその道筋には、一切の矛盾が無かった。

矛盾のない一本の線。それが引けた時、古書の中の患者さまが現代に甦ったかのような錯覚さえ覚えた。

漢方治療においては、時にこのような感覚を受けることがある。

美しい古典に宿った、不易の教えだった。

私は最後の確証を訪ねた。

「シナモンは好きですか?」

「シナモン、とても大好きです!ニッキ飴!」

初めて笑顔を見せておっしゃられたその答えを聞きいて、

私は断じて古書の名方を出した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それ以来、患者さまに「狂」が起こることは無かった。

服用してすぐに便意をもよおし、一度の息みでスルリと便が出たのだという。

そして次の日朝起きると、顔の赤味が少し引いていた。

不思議と気持ちも落ち着いた。狂いそうになっていた自分が信じられないという様子だった。

「狂いそうになる便秘」、

それは決して大袈裟な誇張ではなかった。

古くからそう表現していた患者さまは実際にいて、

だからこそ古典として、その文言が残されていたのである。

古典には一文字一文字に命が宿っている。そう表現した昭和の漢方家の気持ちが分かる気がする。

時代が移ろうとも、人と病との本質は今も変わらない。そう感じることの出来る経験だった。

服用していると安心だからと、患者さまはこの処方を継続されている。

現在も月に一回、決まってこの処方を取りに来られている。

そして、ご来局された時の柔和なお顔を見ていると、

初めてお見受けした時の表情はもう、はっきりとは思い出せなかった。



■病名別解説:「便秘
■病名別解説:「酒さ・赤ら顔

その他の症例→「コラム 参考症例