■症例:便秘・顔のほてり

2020年02月22日

漢方坂本コラム

「狂いそうになる・・・」

実際にそう言われた患者さまのお話である。

治療では訴えられる症状を出来るだけ正確に知る必要がある。

漢方治療では特にその傾向が強い。機器を用いず感じ取らなければならないからである。

したがって便秘一つをとっても、どのように出ないのかを詳しく表現してもらう。

そしてその患者さまは、「狂いそうになる便秘」だと、実際にそう表現されたのである。

便が出ないという不快感を、ただ誇張しただけだろうか。

そうではない。

患者さまの便秘は、正しく、「狂いそうになる便秘」だったのである。

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65歳、女性。

旦那さまに連れられて、よろよろと歩きながら老婦人がご来局された。

顔が赤く上気している。その表情からお困りの様子だとはっきりと知ることが出来た。

昨晩、排便しようとトイレに座り試みるも、

いくら息んでもまったく出ない。

まるで大きなカチコチの石が、肛門を塞いでいるようだった。

お腹が張って苦しい。

出さないと、どうにかなってしまいそうだった。

出したい一心で強く息んだ。

それを何度も何度も続け、しまいには顔がのぼせて火が付いたように熱くなった。

息が苦しくなり、視界がぼやけてきた。

卒倒する寸前だった。実際に数秒気を失っていたかもしれない。

それでも下腹部の方が不快だった。

石を出さなければ、気が狂ってしまいそうだった。

最後は指を入れ、直接掻き出した。

硬い石をほじるように、時間をかけて少しずつ外に出していった。

すっきりとは言い難いが、何とかほじり出せた。

そしてよろよろとトイレから出て、鏡を見ると、

顔の色は赤を通りこして、黒みを帯びていた。

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以上は実際に患者さまがおっしゃられた内容である。

顔の赤味は未だ残り、確かに赤よりも赤黒いという印象だった。

患者さまは若い時から、もともと便秘症だったという。

それが強くなり始めたのが二十数年前で、

ちょうど子宮内膜症のため子宮摘出手術を行なった後からだった。

そして閉経を迎えた頃から、さらに便秘が強くなった。

今までは、市販の薬や病院でもらった下剤で何とか出していた。

しかし今回は、それらを飲んでもまったく効果が無かった。

もし昨晩のことがこれからも続くとしたら、

多分私は本当に気が狂ってしまいます。

患者さまは苦悶の表情を浮かべながら、切実にそうおっしゃられていた。

私はこうお伝えした。

「大丈夫ですよ。この便秘は十中八九良くなります」と。

治療はやってみなければ決して分からない。

しかし私は、この便秘に改善するであろうという印象を感じていた。

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私が感じたその印象は、私自身がつかみ取ったものではない。

今まで漢方の歴史を紡いできてくれた先人たちが、

古書を通して私に教えてくれていたものだった。

「其の人、狂の如く」

漢方には、この症候に用いる名方がある。

最古の処方を収載する聖典『傷寒論(しょうかんろん)』の中には、

江戸・明治・大正・昭和と幾多の患者さまを救ってきたある名方が収載されている。

患者さまのお話をお伺いする中で、

私はある段階から、この処方の適応を想起していた。

「狂いそうになる」という患者さまの表現があったからではない。

「狂」という状態に導かれるまでの道筋が、この処方を想起させたのである。

そしてその道筋には、一切の矛盾が無かった。

矛盾のない一本の線。それが引けた時、古書の中の患者さまが現代に甦ったかのような錯覚さえ覚えた。

漢方治療においては、時にこのような感覚を受けることがある。

美しい古典に宿った、不易の教えだった。

私は最後の確証を訪ねた。

「シナモンは好きですか?」

「シナモン、とても大好きです!ニッキ飴!」

初めて笑顔を見せておっしゃられたその答えを聞きいて、

私は断じて古書の名方を出した。

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それ以来、患者さまに「狂」が起こることは無かった。

服用してすぐに便意をもよおし、一度の息みでスルリと便が出たのだという。

そして次の日朝起きると、顔の赤味が少し引いていた。

不思議と気持ちも落ち着いた。狂いそうになっていた自分が信じられないという様子だった。

「狂いそうになる便秘」、

それは決して大袈裟な誇張ではなかった。

古くからそう表現していた患者さまは実際にいて、

だからこそ古典として、その文言が残されていたのである。

古典には一文字一文字に命が宿っている。そう表現した昭和の漢方家の気持ちが分かる気がする。

時代が移ろうとも、人と病との本質は今も変わらない。そう感じることの出来る経験だった。

服用していると安心だからと、患者さまはこの処方を継続されている。

現在も月に一回、決まってこの処方を取りに来られている。

そして、ご来局された時の柔和なお顔を見ていると、

初めてお見受けした時の表情はもう、はっきりとは思い出せなかった。



■病名別解説:「便秘
■病名別解説:「酒さ・赤ら顔

〇その他の参考症例:参考症例

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