漢方家は問診を通して、ある重要な情報を探している。
最も重視するべき症状。真の病態に直結するサイン。
様々な症状の中から、これらを見極めること。
それが漢方治療の中で治療者が行っている具体的な内容である。
各種検査により人体を把握できなかった時代、
漢方は体に起こっている事象を、患者さまの様々な訴えから把握してきた。
体のサインに耳を傾け、それを出来るだけ多く集める。
そうして集積した情報をもって、処方という解答を導いてきた。
したがって漢方治療では一つ一つの症状にこそ解答へのヒントがある。
だからこそ、患者さまの訴えには何一つ疎かにできない大切さがある。
しかし全ての症状を均等に扱っているわけでは決してなく、
その中で最もポイントになる重要所見を見極めているのである。
漢方家が探しているこれらの症状は、患者さまが強く訴えられている症状と同一ではない。
患者さまが治したい症状、それを改善するために、深く関連している別の症状を見極めなければならない。
数々の症状がどう関連しているのか、そして体が発している最も重要なサインは何なのか。
これらを見極めること、それが効果発現のためには必須となるのである。
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46歳、女性。
8月、夏の盛り。
以前ご来局頂いていた患者さまが、お顔を青くしてご来局された。
とにかく体が冷えて困るのだという。
夏に冷え性のご相談であった。
一見意外に感じられるかもしれないが、そういうご相談は実は良くあることである。
昨今の夏場はどこに行っても冷房に当たる。
急激に冷やされることで夏場こそ冷気にやられやすくなる。
今回の患者さまも、夏場の冷えすぎた空調により体調不良を起こされていた。
冷房に当たるとからだ全体が冷えてしまう。
特に腰回りやお腹回りが冷え、さらに下痢が続いているようだった。
下痢は一日2.3度。腹痛もなくスッキリとは出ている。
しかしとにかく下痢ばかりが続いている。いきなりもよおすので、大変困られていた。
さらに体が浮腫(むく)み重い。夜寝る時は足を上げていないとつらい。
もともと末端冷え性であり、浮腫みも季節問わず強い方である。
食欲は常にあり、比較的体格の良い女性であった。
なるほどなと思った。病態としてはかなり分かりやすい。
もともとの冷え症と浮腫みに加えて、夏場の冷房にて胃腸を冷やした状態である。
食欲・体格を見ても「補」を施す必要はない。
つまり積極的に血行を促すと同時に、腹中の「寒」を去れば良かった。
私は胃腸を温める薬方を出した。
現在の病根は胃腸。ならば色々やる前に、まずは腹中の「寒」を叩く。
想定が正しければ、服用後にお腹が温まって下痢が止まるはず。
そして、お小水の出が良くなって浮腫みが軽減されるはずである。
まずは7日分のお薬を出した。
処方が正しいかどうかの効果判定には、一週間で充分だと感じた。
次回ご来局時、もし下痢が止まっていないようなら温める力をより高める。
そういう想定をしながら、一週間後のご来局をお待ちした。
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ちょうど一週間後、薬をきちんと飲み切った患者さまがご来局された。
お会いした時、ん?と思った。
患者さまの晴れないお顔を見て、効いていない、と直感したからだ。
味はまずいが何とか飲めたという。お小水が増える感じもなく、下痢は相変わらずだった。
若干だけれども浮腫みは減っているかも知れないという。しかし他は7日前と何も変わっていなかった。
まだ一週間の服用にしか過ぎない。しかしこれは明らかに私の見立て違いである。
完全に良くはならないにしても、もう少し改善傾向が見て取れるはず。
この効いていない感じは、おそらく一週間という時間の問題ではなかった。
十中八九、捉えるべき症状を見落としている。
真の病態に直結しているサインが、患者さまには必ずあるはずだった。
もう一度症状を確認させてもらう。
もともとの冷え症に重なった、冷房による「中寒(ちゅうかん:腹の冷え)」。
それを証明する症状はある。冷えた外気により下痢をする点である。
しかし、よくよく考えると矛盾があった。
腹痛がない。
通常冷えて下痢をするなら腹痛が来る。それが常道であるはずなのに腹痛がなかった。
だとするとこの下痢は冷えの影響とは言い切れない。他の要因が絡んでいる可能性がある。
尋ねるべきことが見つかった。
患者さまの「水の通道」である。
下の道を聞く。案の定、見落としていたサインがあった。
上の道を聞く。そのサインが陰陽を明らかにした。
私は陽証に用いる「水道通調(すいどうつうちょう)の剤」を出した。
そして、著効である。
出した薬方はやはり7日分だった。前回とは違い、今回は下痢がピタリと止んだ。
同時に浮腫みが減り、体が軽くなった。クーラーを浴びても冷えにくくなったと喜んで頂けた。
その後2週間服用したところで、諸症消失と伴に、私が見落としていたサインも綺麗に無くなった。
改善までに時間をかけてしまった。そういう忸怩たる思いを胸にしまいながら、笑顔の患者さまに「もう大丈夫ですよ」お伝えした。
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体から発せられるサイン。
様々な症状は、等しく体から発せられる大切なサインである。
それらを何一つ疎かにできない、そういう姿勢があるからこそ、最も重要なサインを見逃さずに済む。
「冷房により冷えたのだろう」、そういう私の安直な発想がサインを見逃した。
患者さまから発せられる症状を無心で感じ取る難しさを、痛感させて頂いた症例だった。
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