患者さまのご紹介で、そのお父さまがご来局された。
68歳、男性。
10年前から、排尿の問題で悩まれていた。
数十分で行きたくなる頻尿と、出した後の残尿感、
尿の出が悪く、出した後も尿の切れが悪い。
以前から排尿に問題があると感じていて、
病院へ行き、前立腺肥大と診断。生検では良性と確認されている。
α1遮断薬や、抗男性ホルモン薬などを服用するも、
状況は変わらず、そのうち薬物治療を止めてしまった。
生検を繰り返し勧められたが、それも体がきつい。
通院を途中でやめて、どうにか治らないかと思案を続けていた。
そして去年の夏、まったく尿が出なくなった。
尿閉。
病院に駆け込んで、カテーテルで処置した。
一週間で取り外し、西洋薬服用にて尿閉はおさまった。
しかしその数ヵ月後、また尿閉が生じ、
カテーテルで処置したが、今度は取り外して二日後、また尿閉が再発した。
一か月後にやっと、カテーテルが取れる。
その後α1遮断薬や抗男性ホルモン薬の服用を、ずっと続けている。
続けてはいる。しかし、症状は変わらない。
残尿感に尿意の切迫感、尿の出の悪さと、尿の切れの悪さ。
尿閉を繰り返すことで、排尿の間隔がさらに短くなっている。
ただし病院では、前立腺のサイズは拡大していないとして、
手術するまでもないと。
様子を見ましょうの一点張りだった。
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排尿に関わる問題は、生活の質に直結する。
当たり前に出ていたものが出ない。その強い不快感は、想像に難くない。
常に頭の中でそれを意識しなければならない。一生このままかと、先を考えることも辛い。
どのような病であれ少なからず人生を変化させるが、
排尿の問題は、それを如実に表す病だといってもいい。
当薬局のコラムをお読みいただき、是非にとお願いされた患者さまである。
改善の可能性を探れるかどうか、身が引き締しまる。
まずは、詳しくお体の状態を確認した。
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肢体細く、筋張ったお体。
それでも活動は鈍くない。週数回テニスを行い、運動を心がけている。
ただしお腹は弱い。もとより軟便傾向。
そして食べ過ぎた時は、腹痛・下痢を起こしやすいという。
ただし食欲はある。昔から良く食べるほうで、
痩せてはいるが、今まで食べることを苦痛だと感じたことはない。
体は冷えやすい。特に冷えると尿意の切迫感が強まる。
だからこそ運動をして、体を温めるように努力している。
ただし夏の運動中、汗をかく時期になると尿閉が起こりやすい。
それほど大量に汗をかくわけではないが、今までの経験上、尿閉は夏に集中していた。
体調として、元気は元気である。
しかし、弱さはある。患者さまに見られる弱さは、この時点で、ある程度把握することができた。
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老年期の男性である。
であれば誰しもが、それなりに排尿に問題が起こることは自然である。
背景には、おそらく老化現象がある。
そういう排尿障害であれば、漢方ではある病態をすぐに想起させる。
腎虚。
補腎薬、八味地黄丸の適応。
お年を召した方の排尿障害に、八味地黄丸は良く使われる。
そして効くことがある。通常であれば、この処方を使うことが自然なのかもしれない。
しかし、私にはそうは思えない。
腎虚と単なる老化とは、また違う概念である。
そしてはっきりと言える。今回は、絶対に八味地黄丸ではない。
証云々とは違う視点から、尿閉の原因を見極めなければならない。
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尿閉を繰り返す悪化傾向にあるものの、前立腺の肥大自体が悪化しているわけではない。
そして手術の話も出ていない。この辺りがポイントであるように思える。
すなわち、前立腺の肥大による物理的圧迫によるものとは言い切れず、
より機能的な問題として生じている可能性が大いにあり得る。
さらに夏の運動中、汗をかく時期に起こりやすいという点に、無視できない何かがある。
血流の問題、かつ膀胱筋・膀胱括約筋などの筋肉活動の不全、この辺りが非常に怪しいという印象だった。
そうであれば、漢方治療にて改善を見込める可能性が高い。
通常、前立腺肥大による物理的圧迫では治療に時間がかかる。
今回は上手くいけば、比較的早い効果が表れるかも知れない。
であるならば。
私は患者さまに、ある症状を確認した。
夏場の運動中の様子。やはり、というお答え。
私は14日分の薬を出した。
チャレンジの14日間である。
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遠方からご来局いただいた患者さまであり、
二回目も、わざわざお越し頂いた事に感謝しなければならない。
直に笑顔を見ることが出来たから。
著効。と言ってもよい結果が出た。
服用してすぐに、夜間の排尿が減った。
夜中4.5回は起きていた夜間尿が、服用した日から1回になった。
また昼も何となくトイレに行く回数が減り、
一回でザーッと、気持ちよく排尿できるようになった。
残尿感がないことが嬉しい。しっかり出切るため、尿漏れが起こることもなくなった。
ただしまだ、いきなり行きたくなる切迫感は残っている。
初手としては、上々の滑り出し。
ではあるが、今はまだ夏。予断が許される状況ではない。
私は患者さまに、今後どのように改善していく可能性があるのかを説明した。
今回の薬で行ったこと、そしてそれによるお体の変化。
そこから紐解ける、改善への流れ。
そして養生。この薬が効いたのであれば、生活上気を付けなければいけないことは自ずと導き出せる。
患者さまもそのことを十分に理解し、努めることを約束してくれた。
準備は整った。
あとは、症状の波に対応しながら、治癒へと向けて進むだけである。
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三回目からは、お電話により状況を伺った。
やはり波はうった。しかし、それからは比較的調子の良い日が続いた。
症状の確認を続け、その都度薬力の調節を図る。
そして症状消失とは言わないまでも、良い状態が続きながら、一年が過ぎた。
その間、尿閉は起こらなかった。ただし、年末にまた一度、尿閉が起きてしまった。
病院にて対応し改善を見る。その後また繰り返すことを恐れたが、それは結局杞憂に終わり、その後はむしろ、さらに調子が良くなった。
患者さまも、よく養生を守ってくれた。
そして何で悪化するのか、それがこの治療を通してご自身の中で明確になられた。
それがとても大きいこと。
その後も調子の良い日が続き、全部で一年半が経った。
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患者さまの体調は安定していた。
前立腺の肥大は変わることがなく、症状もだいぶ良い状態が続いていた。
そして新芽が芽吹く3月、患者さまがお電話でおっしゃられた。
薬を一旦休んでみたい。養生だけで、がんばってみたいと思う、と。
大賛成だった。
その自信があれば、おそらく薬などいらない。
症状も安定している。何よりも、ご自身の体を理解し、養生に自信が持てたからこそ、言っていただけた言葉だった。
治療の到達点。
治療の経験が、今後に活かせる終わり方。
病と伴に歩む。しかしその道は、ご自身の努力で明るく照らすことができるのだと。
それを現実のこととして、見させていただいた。
あれからまだご連絡が無いところをみると、
きっと今回の経験が、今も活き続けているのだと思う。
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■病名別解説:「頻尿・尿漏れ・排尿困難(過活動膀胱・前立腺肥大など)」
〇その他の参考症例:参考症例