いつも不思議に思う。
古人は、どうやって体の中の病を認識していたのだろう。
例えば胆管炎や胆石症。
今でこそ、生きた人間の体の中を視認できるようになったが、
昔は当然、それが出来なかった。
外から腹を触り、たとえ胆石の硬さを蝕知できたとしても、
それが何なのかを、知ることは出来なかったはずである。
しかし古典を紐解くと、
明らかに胆のうの病を、他の病と識別して治療していた形跡がある。
正確に言うと、胆のうだとは認識していなかったのかもしれない。
しかし、それでもこれらの手法は使える。
今でも尚、ちゃんと通用するのである。
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70歳、女性。
厳寒の2月。
細身ながらも姿勢の良い、品のある女性がご来局された。
穏やかな口調で、ご自身の病状をお話しされる。
お伺いすると、その内容はなかなかに大変な状況だった。
7年前。
検査にて、肝機能の低下が発見された。
病院にかかり詳しく調べると、原発性胆汁性胆管炎(PBC)と診断が下った。
PBCとは、胆管に原因不明の炎症が起こる病。
肝臓内の胆管が破壊されることで、慢性経過しながら肝臓に負担をかけていく病である。
幸いにも早期に発見できたため、そこまで重い状況ではなかった。
胆汁の流れを改善する薬と、高脂血症治療薬、
基本通りの治療で、肝機能の数値は改善へと向かった。
そして3年前の夏、
突然、みぞおちに激痛が走った。
高熱が出て、すぐに病院へ行くと、
急性の胆管炎が発症していた。
入院し、抗生剤にて治癒。
しかしその後、この発作が再発するようになった。
ここ半年で3回。
最近は再発までの期間も、徐々に短くなっている。
またいつ発作が起きるかもしれない。そういう恐怖が常にある。
このまま、どんどん悪化してしまうのではないか。
病院で原因を聞くと、胆管に狭窄があり、そこに胆石が詰まっているという。
しかし、発作がこんなに頻発する理由は分からない。
手術にて、胆管とその周りの肝臓ごと、切除するかどうか。
今はそういう選択に迫られている。
できれば手術せずに、漢方で何とかならないだろうかというご相談だった。
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穏やかな口調とは裏腹に、予断を許さない状況である。
発作を繰り返すようなら、そのたびに胆管が蝕まれる。
そしてこのまま放っておけば、肝臓もただで済むはずはない。
その前に摘出するというのは、この状況であれば当然の選択になり得る。
しかし、出来れば手術はしたくないというのも、
患者さまのお気持ちを考えれば、至極当然のことだった。
漢方治療で、間に合うのかどうか。
詳しく症状を伺う。
黄疸はなく、皮膚の痒みもない。
自己免疫疾患の合併症もなく、PBCとしては無症状の状態と言えそうである。
ただし、胆管炎の発作を繰り返しているため、不安で食事がままならない。
食欲はちゃんと湧くものの、食べることが少々怖いという。
発作時はみぞおちに絞られるような痛みが起こり、
血の気が引いて痛みに悶絶するが、吐き気は起こらない。
小柄な女性で肢体細く、手足はやや冷えるほう。
小便は色・回数ともに正常で、便はやや硬めである。
疲れの具合を聞いた。特にそれほど強くはないという。
確かに食事の割には、やつれた印象はない。
発作が頻発するようになってからも、体重は減ってはいなかった。
おや、と思った。
思ったほど、落ちてはいない。
東洋医学的に見た体力。未だに、余力のある状態である。
また、もとより暴飲暴食をするほうではなく、
不安ながらも、ちゃんと食べられている。
この点は非常に大きかった。
間に合うかもしれない。
腹に巣食う緊張が解ければ、消化管活動が賦活する可能性がある。
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古人は消化管の病を診る際、
底に巣食う、腹の「緊張」を診た。
たとえ見ることのできない内臓であっても、必ず体表にその兆候があらわれる。
そう想定することで、様々な緊張の仕方を見分け、
内臓に起こる病を弁別してきたのである。
その中の一つに、腹に限局した緊張を見て取れる場合がある。
しこりが触れる、塊りが聚るという意味で、
古人はこれらの病を「積聚(せきじゅう)」と呼んだ。
決して正確な診断とは言えず、多くの病を包括する概念である。
しかしこの「積聚」という病の中に、
現代でも通用する、胆管炎や胆石症治療のヒントが隠されている。
中気を緩む。
今回必要なのは、当にこれ。
数年に及ぶ腹中の積気。これを緩める手法を用いることが、まずは正攻法である。
7日分の薬を出した。
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一週間後、まずは良い結果が出た。
服用してすぐに、体が腹から温まる感覚があった。
味も美味しく、飲んでいて心地よいという。
そう話す患者さまのお顔は、明らかに血色が良くなっている。
比較的良く眠れるようになっていることも、中気の緩みを感じさせる変化だった。
そのまま同処方を続けてもらう。
しかし二週間後、ここで発作が再発した。
ヒヤッとした。しかし、以前よりも痛みが軽い。かつ炎症の数値も今までで一番軽かったという。
入院することなく、即日で帰宅できたことに、
患者さまはむしろ、良くなっていることを実感できたと喜ばれていた。
私は少々薬を改良し、そのまま服用を続けてもらった。
そしてその後は順調に回復へと向かい、
一度も発作が起こることなく、4か月が経過した。
5か月後、病院での検診の日、
主治医からは別人のようだと言われた。
数値が見事に回復している。
手術をする・しないの話は、全く出なかった。
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不思議で仕方がない。
なぜ古人は、このようは手法を編み出せたのだろう。
想像したと言ってしまえば、それまでである。
しかし私たちが考える想像力とは、明らかに一線を画している。
現代であれば、機器を利用した正確な診断が絶対である。
ただし、それでもこの古臭い手法には、結果を出し得る「正しさ」がある。
分からなかったからこそ、駆使された想像力。
現実に治すだけのために、発揮された想像力。
私はこの古人の想像力に、強く畏敬の念をいだく。
現代においても、利用しない手はないと思う。
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■病名別解説:「胆石症・胆嚢炎」
〇その他の参考症例:参考症例