■症例:胆管炎・胆石症

2022年06月17日

漢方坂本コラム

いつも不思議に思う。

古人は、どうやって体の中の病を認識していたのだろう。

例えば胆管炎や胆石症。

今でこそ、生きた人間の体の中を視認できるようになったが、

昔は当然、それが出来なかった。

外から腹を触り、たとえ胆石の硬さを蝕知できたとしても、

それが何なのかを、知ることは出来なかったはずである。

しかし古典を紐解くと、

明らかに胆のうの病を、他の病と識別して治療していた形跡がある。

正確に言うと、胆のうだとは認識していなかったのかもしれない。

しかし、それでもこれらの手法は使える。

今でも尚、ちゃんと通用するのである。

70歳、女性。

厳寒の2月。

細身ながらも姿勢の良い、品のある女性がご来局された。

穏やかな口調で、ご自身の病状をお話しされる。

お伺いすると、その内容はなかなかに大変な状況だった。

7年前。

検査にて、肝機能の低下が発見された。

病院にかかり詳しく調べると、原発性胆汁性胆管炎(PBC)と診断が下った。

PBCとは、胆管に原因不明の炎症が起こる病。

肝臓内の胆管が破壊されることで、慢性経過しながら肝臓に負担をかけていく病である。

幸いにも早期に発見できたため、そこまで重い状況ではなかった。

胆汁の流れを改善する薬と、高脂血症治療薬、

基本通りの治療で、肝機能の数値は改善へと向かった。

そして3年前の夏、

突然、みぞおちに激痛が走った。

高熱が出て、すぐに病院へ行くと、

急性の胆管炎が発症していた。

入院し、抗生剤にて治癒。

しかしその後、この発作が再発するようになった。

ここ半年で3回。

最近は再発までの期間も、徐々に短くなっている。

またいつ発作が起きるかもしれない。そういう恐怖が常にある。

このまま、どんどん悪化してしまうのではないか。

病院で原因を聞くと、胆管に狭窄があり、そこに胆石が詰まっているという。

しかし、発作がこんなに頻発する理由は分からない。

手術にて、胆管とその周りの肝臓ごと、切除するかどうか。

今はそういう選択に迫られている。

できれば手術せずに、漢方で何とかならないだろうかというご相談だった。

穏やかな口調とは裏腹に、予断を許さない状況である。

発作を繰り返すようなら、そのたびに胆管が蝕まれる。

そしてこのまま放っておけば、肝臓もただで済むはずはない。

その前に摘出するというのは、この状況であれば当然の選択になり得る。

しかし、出来れば手術はしたくないというのも、

患者さまのお気持ちを考えれば、至極当然のことだった。

漢方治療で、間に合うのかどうか。

詳しく症状を伺う。

黄疸はなく、皮膚の痒みもない。

自己免疫疾患の合併症もなく、PBCとしては無症状の状態と言えそうである。

ただし、胆管炎の発作を繰り返しているため、不安で食事がままならない。

食欲はちゃんと湧くものの、食べることが少々怖いという。

発作時はみぞおちに絞られるような痛みが起こり、

血の気が引いて痛みに悶絶するが、吐き気は起こらない。

小柄な女性で肢体細く、手足はやや冷えるほう。

小便は色・回数ともに正常で、便はやや硬めである。

疲れの具合を聞いた。特にそれほど強くはないという。

確かに食事の割には、やつれた印象はない。

発作が頻発するようになってからも、体重は減ってはいなかった。

おや、と思った。

思ったほど、落ちてはいない。

東洋医学的に見た体力。未だに、余力のある状態である。

また、もとより暴飲暴食をするほうではなく、

不安ながらも、ちゃんと食べられている。

この点は非常に大きかった。

間に合うかもしれない。

腹に巣食う緊張が解ければ、消化管活動が賦活する可能性がある。

古人は消化管の病を診る際、

底に巣食う、腹の「緊張」を診た。

たとえ見ることのできない内臓であっても、必ず体表にその兆候があらわれる。

そう想定することで、様々な緊張の仕方を見分け、

内臓に起こる病を弁別してきたのである。

その中の一つに、腹に限局した緊張を見て取れる場合がある。

しこりが触れる、かたまりがあつまるという意味で、

古人はこれらの病を「積聚(せきじゅう)」と呼んだ。

決して正確な診断とは言えず、多くの病を包括する概念である。

しかしこの「積聚」という病の中に、

現代でも通用する、胆管炎や胆石症治療のヒントが隠されている。

中気を緩む。

今回必要なのは、まさにこれ。

数年に及ぶ腹中の積気。これを緩める手法を用いることが、まずは正攻法である。

7日分の薬を出した。

一週間後、まずは良い結果が出た。

服用してすぐに、体が腹から温まる感覚があった。

味も美味しく、飲んでいて心地よいという。

そう話す患者さまのお顔は、明らかに血色が良くなっている。

比較的良く眠れるようになっていることも、中気の緩みを感じさせる変化だった。

そのまま同処方を続けてもらう。

しかし二週間後、ここで発作が再発した。

ヒヤッとした。しかし、以前よりも痛みが軽い。かつ炎症の数値も今までで一番軽かったという。

入院することなく、即日で帰宅できたことに、

患者さまはむしろ、良くなっていることを実感できたと喜ばれていた。

私は少々薬を改良し、そのまま服用を続けてもらった。

そしてその後は順調に回復へと向かい、

一度も発作が起こることなく、4か月が経過した。

5か月後、病院での検診の日、

主治医からは別人のようだと言われた。

数値が見事に回復している。

手術をする・しないの話は、全く出なかった。

不思議で仕方がない。

なぜ古人は、このようは手法を編み出せたのだろう。

想像したと言ってしまえば、それまでである。

しかし私たちが考える想像力とは、明らかに一線を画している。

現代であれば、機器を利用した正確な診断が絶対である。

ただし、それでもこの古臭い手法には、結果を出し得る「正しさ」がある。

分からなかったからこそ、駆使された想像力。

現実に治すだけのために、発揮された想像力。

私はこの古人の想像力に、強く畏敬の念をいだく。

現代においても、利用しない手はないと思う。



■病名別解説:「胆石症・胆嚢炎

〇その他の参考症例:参考症例

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