18歳、男性。高校三年生。
3年前、つまり高校に上がる頃から、朝、起きることが出来なくなった。
波はあるものの、一日中ずっと気持ち悪い。
吐き気を伴う気持ち悪さで、実際に吐くこともある。
起立性調節障害。
3年間、ずっと悩まされてきた病だった。
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一見して礼儀正しい、素直な男子高校生である。
体つきもしっかりしている。すでに大人の雰囲気を醸し出していた。
しかし、背中を終始丸めている。その姿勢から、体のだるさが見て取れた。
表情にも覇気がない。
ポツポツとゆっくり話す口調は、体に似合わず、とてもか細かった。
体調を崩し始めたのは中学三年生のころ。
さまざまなストレスから、体調を崩したのがきっかけだという。
精神的にきつかった時の症状はすでに治っていはいたが、
その後もめまいや吐き気が続き、
メニエール病や逆流性食道炎、また心療内科的な病の診断を受けたこともあった。
さまざまな治療を受けてきた。
ある程度は良くなる。しかし症状が完全に治りきることはなかった。
現在も吐き気やめまいが続き、何よりも朝、体に力が入らないのがとてもキツかった。
来局されたのは秋の深まる11月中旬。
四か月後に受験を控えた大切な時期である。
現在、学校に行けるのは週に3日。
2日は学校に行けず、そういう日は夕方にならないと体を動かせなかった。
本人は、不安感が強いのだという。
穏やかな性格であると同時に、怒気をはらむような強い口調がとても苦手だった。
体が委縮してしまう。穏やかで丁寧な口調は、そういった敏感さの裏返しかもしれなかった。
そういう中での受験。
不安で当然だった。にじみ出る優しい人柄を考えれば、本人とご家族との心中を察するに余りあった。
とにかく、一刻も早く楽にさせてあげなければならない。
受験まで、もう時間的にも待ったなしである。
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朝のだるさと、めまいと吐き気。
そして心身に巣くう緊張感。
総じて判断すると、心療内科的な病を疑われることもまた、少々納得のいく状態ではある。
しかし、まず私は「心の病」ではないと断定した。
そう仮定する。それでも十分に辻褄(つじつま)の合う状態だったからである。
あくまで「体」の悲鳴。
明らかにこのお体には、「痰飲(たんいん)」が絡んでいる。
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飲んだ水が流れず、滞っている。この水を漢方では「痰飲」と呼ぶ。
古来東洋医学では、水がさまざまな悪さをすることを経験的に知った。そして、その治法を数多く提示してきた歴史がある。
患者さまには、めまい以外にも重さを伴う頭痛があった。
朝は瞼が腫れ、夜は足がむくんで重だるくなった。
口は渇くが、胃が張って水を飲むことができない。
立ち眩みはもちろんのこと、座っていてもグラっとくるようなふらつきを常に感じていた。
これらは皆、身体に滞る「水」の仕業である。
そして「水」の仕業は「体」だけではない。「心」にもまた、影響を及ぼすことがある。
不安感や焦燥感、やる気のなさや集中力の欠如。
「心の重さ」を伴うさまざまな精神症状、これらもまた「水」の仕業によって起こるものである。
まずは「体」の重さを取る。そうすれば「心」もまた、必ず軽さを取り戻す。
そういう状態を作ることが真っ先に必要だった。
「痰飲」を如何にして去るか。この患者さまでは、そこが最大の眼目になる。
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漢方には、「痰飲」を去るための方剤が数多く用意されている。
有名どころでいえば「苓桂朮甘湯(りょうけいじゅつかんとう)」や「半夏白朮天麻湯(はんげびゃくじゅつてんまとう)」。
両者ともに、起立性調節障害治療に頻用されている処方である。
「沢瀉湯(たくしゃとう)」という処方もある。時に迅速な効果を発揮するめまい治療薬である。
しかし、今回はこれらの処方では改善が難しい。
その理由は一つ。
水の「勢い」。あふれ出す水の「勢い」に合わせて、方剤を選ぶ必要があるからである。
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そもそもなぜ「痰飲」に対して数多くの処方が用意されているのか。
それは、水にはさまざまな「形」があるから。本質を変えずに形を変える、これが水が持つ最大の特徴である。
ジワリと染み出す雨水もあれば、堤防を決壊させる洪水もある。
「痰飲」に用意された処方の多さは、それがそのまま水の多様性につながる。
そこに正確に合わせられるかどうか。「痰飲」を除去する場合は、まず水の「形」を見極めることから始まっていく。
起立性調節障害の多くは「水」の病である。
多種多様な水の病、然るにそこに適応する方剤が、これらだけで足りるはずがない。
より広く、処方を選用するべき病。
今回の患者さまの場合、あふれ出す水の勢いは強かった。
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最初に出したお薬は二週間分。
段階を踏む治療が求められる。そう思っての短期処方だった。
二週間服用するも、朝の起きにくさは変わらない。
しかし手足の冷えがなくなった。さらに服用直後、胃がすっきりとする感覚があった。
胃の停水が動き始めた。
すかさず処方を変える。心下(胃)の牙城が崩れた。これで薬を入れ込むことができるようになった。
ここからは定石でいける。
そう確信して、同じく二週間分、今度は水の勢いを逐う方剤をお出しした。
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そこからは、明らかな改善が見て取れるようになった。
まずは吐きたいという気持ち悪さが減った。そして朝のだるさが日に日に良くなっていった。
ただまだ波がある。日によっては肩がかったるく、体のだるさが強くなった。
問題なかった。想定の範囲内。波がなく改善できることの方がまれだと言ってもよい。
かならず良くなる。
あとは、受験に間に合うかどうかだった。
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治療を始めて2か月後。
だいぶ良くなった。体のだるさは、7割方完全することができた。
学校にも毎日いけるようになった。それとともに、毎日熟睡できるようにもなっていた。
間に合ったかもしれない。今の状態なら、きっとテストに支障はない。
素直な彼ならきっとがんばれる。
受験の結果はどうであれ、彼のまじめさが心から頼もしかった。
受験勉強の中での治療。どんなに不安だったことだろう。
本人も相当がんばってくれたと思う。
そして春、治療を始めて4か月後。
電話で合格の報告を受けた。うれしかった。最高の結果で、この春を迎えることができた。
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いつも思う。
治療とは、患者さまの人生に関わることなのだと。
だからこそ緊張する。
もし良い結果が得られなかったら。どんなに平静を装っていたとしても、治療の間、私の心中からその思いが無くなることはない。
今回のように良い結果が得られる時もあれば、そうでない時も当然ある。
私の能力不足に忸怩たる思いをすることもある。そんな時、患者さまの努力に、逆に救われることがある。
受験勉強の最中、患者さまは私が提案した養生を毎日続けてくれた。
毎日である。不安で、体調が悪く、かつ勉強をしなければいけない時に、毎日養生を守ってくれたのである。
自らの経験から自信をもって行った今回の治療、
ではその手法が最善だったのかどうか。実は私には分からない。もっと良い道筋があったのかもしれない。
でもきっと正しかったのだと思う。そう思わせてもらえた。
彼のひたむきな努力があったからこそ、私はそう思わせてもらえたのである。
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■病名別解説:「起立性調節障害」
〇その他の参考症例:参考症例