○漢方治療の実際
~「漢方」と「中医学」との違い・後編~
<目次>
2、「日本で行われている中医学」は「中国で行われている伝統医学」ではない。
■「中医学」の発展と方向修正
■現代中医学と伝統中医学:西洋医学との理論闘争
■現代中医学の成立後、日本への流入
3、「漢方」と「中医学」・どちらが良いのか。
■漢方と中医学の具体的な違い
■説明のための医学からの脱却
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前編に引き続き、今回も「漢方」と「中医学」との違いを解説していきたいと思います。
前編では「漢方」について解説していきました。今回は「中医学」、この似て非なる医学をなるべく詳しく解説していきたいと思います。
※前編→〇漢方治療の実際 ~「漢方」と「中医学」との違い・前編~
2、「日本で行われている中医学」は「中国で行われている伝統医学」ではない。
中医学という言葉は、実はとても広い意味で使われています。使われてしまっていると言ってもよいかもしれません。広く使われてしまっているからこそ、非常にその定義が複雑になってしまっているのです。
まず「現在の中国で行われている伝統医学」を中医学と呼ぶことがあります。その一方で「日本で行われている中医学」も確かに中医学です。
しかし両者は正確にいうと全くの別物です。これらの違いを説明するためには、やはり歴史を紐解いていかなければなりません。
■「中医学」の発展と方向修正
話は中国・清代にまでさかのぼります。
この時代は、ちょうど日本の江戸にあたる時代です。当時、我が国の伝統医学が独自の変化をとげていたように、おとなり中国においても着々とその伝統医学・中医学が発展を続けていました。
国交を制限していた当時の日本人には知る由もありませんが、清代の中国では『温病条弁(うんびょうじょうべん)』などの歴史的重要資料が作成されています。現代における温病学説の重要性からいっても、ある意味でこの時代の中国伝統医学は非常にレベルの高いものでした。
日本とは違い、中国にはそれまで自力で作り上げてきた何千年という伝統医学の蓄積があります。長年の集積が新たな形として実を結んだ、清代の中国とは、まさにそういう時代でした。
『温病条弁』一つをとっても中国伝統医学史上類を見ないほどの業績です。しかし中国においても日本同様、それまでの伝統医学を根底から覆す出来事が起こりました。
西洋医学の流入です。
清代末から民国時代にかけて徐々に導入されてきた西洋医学の影響は、中国にとっても計り知れないものでした。そして結局のところ、中医学はそこから大きく方向修正を強いられることになります。
「伝統中医学」から「現代中医学」への変遷が始まったのです。
■現代中医学と伝統中医学:西洋医学との理論闘争
西洋医学の導入と進歩は、全世界の医療に起こった強力なイノベーションでした。
様々な国において、今まで行っていた伝統医学の見直しを迫られる機会となったのです。
非科学的。西洋医学の視点からみて、あらゆる伝統医学は「非科学的」に映りました。
科学という視点では、確かに伝統医学はその効果を証明することは困難です。したがって伝統医学は「古臭い医学」というレッテルを張られ、西洋医学者たちからの「排斥」の対象となってしまったのです。
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特に中国では、今まで行ってきた中医学が自国の文化として強く根付いていたため、西洋医学導入に対して大きな反発が生じました。
今後も伝統医学を残していくためには、西洋医学者に対して中医学の有効性を証明しなければなりません。
そういう活動が強く起こった結果として、「いかにして中医学を科学化するか」ということが存続のための大命題として掲げられました。
そしてその具体策として、中医学の「学校建設」と「教材編集」とが行われ始めました。
まず中医学を西洋医学の分類に則って作り直し、中医生理学・中医病理学・中医診断学・中医方剤学・中薬学・内科学・外科学・小児科・婦人科・・・といった近代的なスタイルの教材を作りあげました。
そして治療においても「弁証・論治(べんしょう・ろんち)」という概念を設立します。これは「診断」と「治療」とを西洋医学にならってはっきりと区別する手法で、患者の病状から証を弁じ(弁証)、後に理論から治療を導く(論治)、という合理的な治療体系を提示したものです。
この試みは、日本が提示した「方証相対」と良く似ています。「証」と「方剤」とを提示するやり方は、ある意味で「病名」を診断すれば「治療方法」が決定するという西洋医学的治療を模倣したものです。
中国にて見出された「弁証論治」も同じく西洋医学的治療に則したものでした。つまり、両者ともに今までの伝統医学的手法をひとまず横に置いた上で、西洋医学の考え方に身を委ねる形で伝統医学を変化させたのです。
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そして近代的な学校建設と教材編集という具体的行動を通して、いよいよ「中医科学化」が実現されていきます。
さらに新中国成立後、任応秋や秦伯未らが理論的概括を行い、まったく新しい「現代中医学」が形成されました。
この理論闘争と具体的存続活動をきっかけとして、それまで行われていた中国医学を「伝統中医学」、中医の科学化よって作られた新しい医学を「現代中医学」と区別しています。
独創的な視点とその想像性を駆使した「伝統中医学」は、こうしてその歴史から別れを告げることになったのです。
■現代中医学の成立後、日本への流入
この「現代中医学」は、中国で成立後すぐに日本に伝わってきたわけではありません。
日本に入ってくるのは中国で作られてから約20年後、つまり今から約40年前に結ばれる日中平和友好条約を待たなければなりません。
それまでの日本は「漢方」、つまり「方証相対」が一般的に行われていました。ただし当時はすでに、「方証相対」の理論・理屈の曖昧さが問いただされていた時でもありました。
それに対して、日本に流入してきた「現代中医学」は非常にロジカルなものでした。
「現代中医学」は中国伝統医学者たちがその存亡をかけて作り上げた「教材」です。つまり教育のための学問という意味で非常に整ったものでした。
したがって曖昧さを包括していた「方証相対」と比べれば非常に受け入れやすいものでした。そして大変学びやすい医学として、日本でも急速な広がりを見せていきました。
「方証相対」から「弁証論治」へ。そんな流れが当時の日本の流行になったのです。
その多くは関西の方面で広がり、神戸中医学研究会などの有名な研究会が多く作られます。
その結果、現代中医学が本国においても根付き、今では「中医学」という名称で日本伝統医学の一部を構成しています。
特にネットや本などでは、その説明のしやすさから多くの解説が「中医学」を採用しています。
日本に来てまだ日の浅い医学ではありますが、ここまで定着できたこと自体が、中国伝統医学者たちの功績の一つと言えるかも知れません。
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ただし日本に根付いている一般的な「中医学」は、現在の中国で行われているものとは少々趣を異としています。
確かに両者ともに、現在行っている中医学は「現代中医学」を主とするものです。しかし昭和後期に初めて入ってきた日本の中医学と、土地に根付き脈々と続いてきた中国のそれとでは、やはり違いが出てきます。
例えば本家・中国での「中医学」は、使用する薬物の種類が非常に多岐に渡ります。
日本では扱える生薬に限りがありますでの、中国のそれと同じことをしようと思ってもできないという現実があります。
また日本で保険適用となっている漢方薬の多くは「日本漢方」で使われるものが主体となっています。
したがって、中医学の特徴である「細かな生薬の調節」が困難であり、「できるだけ似たような形」でしか処方を作り上げることができないという側面もあります。
つまり、現在の日本で行われいる「中医学」と中国のそれとでは、文化的・法律的な面からどうしても違いが出てきてしまいます。そのため日本で「中医学」と銘打つ医療機関は、実際のところ「日本で出来得る現代中医学」を行っていますという解釈が正しいのかもしれません。
ただし、だからといってダメなものというわけでは決してありません。治療はすべて各先生方の腕です。日本で行われている中医学を行いながらも、それを極めて効果的な運用をされている先生方も数多くいらっしゃいます。
3、「漢方」と「中医学」・どちらが良いのか。
■漢方と中医学の具体的な違い
さて、「漢方」と「中医学」との違い、それを歴史を通して解説してきました。
ここまで長い説明になってしまうとは思いもよらず、自分でもいささかびっくりしています。
ただ、何となく違うものだということは感じていただけたのではないでしょうか。ここで両者の大まかな違いをもう一度、まとめてみたいと思います。
○「漢方」
・江戸時代に作られた日本独自の東洋医学。
・「方証相対」を主として治療を行う傾向がある。
・『傷寒論』(または『金匱要略』)の処方を多く使う傾向がある。
葛根湯・麻黄湯・小建中湯・大建中湯・小青竜湯・当帰芍薬散・桂枝茯苓丸・八味地黄丸など。
・理論を説明する言葉が比較的少ない。陰陽・三陰三陽・気血水など。
・学問体系として説明しにくい・整えにくいという特徴もある。
○「中医学」(日本で行われている中医学)
・中華人民共和国成立直後の中国において作られた「現代中医学」が、その後時代を経て日本に伝わってきたもの。中国で作られた「現代中医学」を日本の法律的・文化的土壌の上で理解し運用したものである。
・「弁証論治」を主として治療を行う。
・処方は比較的に広範囲に渡り、特に中国宋・金元・明・清代に作られたものを使用しやすい。
独活寄生湯・疎経活血湯・天王補心丹・冠心二号方・六味丸など。
・病態を解説するための言葉が多く用意されている。特に肝心脾肺腎などの五臓を用いることが多い。
・学問体系として説明しやすい。教材として整っているという傾向がある。
大まかにいうと、両者の違いはだいだいこんな所です。各先生方の勉強されている内容によって、さらに細かな違いが出てくると思います。
ただ皆さんにとっては、漢方であろうが中医学であろうが、どちらにしても「効果的でしっかりと治癒に導いてくれる医学」をお求めになられていると思います。
そこで最後に、効果という面ではどちらの医学の方が優れているのか、その点について自身の見解を述べてこのコラムの結語とさせていただきます。
■説明のための医学からの脱却
ここからは私の個人的な見解です。
「漢方」と「中医学」と、どちらが良い医学なのか、ということについてです。
まず前提としてどうしも否めないのは、医療は個人の腕だということです。
「漢方」や「中医学」というだけで論じられるものではなく、個人個人の学識と経験、そういったものが最も治療効果に反映されるものだと私は思っています。
その上で、両者の良し悪しをあえて言うならば。
「漢方」と「中医学」、私は「どちらも良くない」と思っています。
どちらも良くない。なぜならば、今現代に伝わっているものは「説明のための医学」だからです。
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今から約一世紀前、東洋医学は大きな変革を余儀なくされました。
漢方を知ってもらうために、中医学を存続していくために、それぞれの形で「分かりやすい医学・説明しやすい医学」に置き換えなければならなかったのです。
つまり今伝わっている伝統医学は「科学化・西洋医学化」というフィルターを一度通されたものであるということです。そういう大変革を遂げた伝統医学を、私たちは今、目にしているのです。
ただし私は思います。当時の伝統医学者たちは、本当にそれがしたかったのでしょうか。
本当はもっと違うものを伝えたかったのではないでしょうか。自分たちが得てきた本当の知識、つまり伝統医学の「真髄」たるものを、後世に伝えたかったのではないかと思うのです。
医学であるならば、実学でなければなりません。
効いてなんぼ、治ってなんぼ、実益が伴う学問でなければ意味がありません。
当時の医学者たちもそれは分かっていた、それを伝えたかったはずです。そういう実証性が繋がってきたものこそが伝統医学、時代と世代を超えて今まで脈々と受け継がれてきたものは、まやかしのない実学だったからです。
しかし当時はそれができませんでした。
それよりもまず、普及と復興とを優先しなければならかなったからです。
伝えなければいけない相手は東洋医学を知らない人たちです。いきなり神髄を語っても、分かってもらえるはずがありません。
何とか分かりやすく、何とか科学的な根拠が持てるように、まずは伝統医学を存続させるために「簡易的な医学」を伝承せざるをえなかったのです。
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「方証相対」の適用も、「現代中医学」の形成も、歴史を背負った医学者たちの「願い」と「祈り」でした。
これからも生き残ってほしいという、そういう思いで作られた医学が「日本漢方」であり「現代中医学」だったのです。
だからこそ、今我々は実際に目にしているものが「説明のために作られた医学」であるということを忘れてはいけません。
約一世紀前に行われた伝統医学の変遷は、東洋医学の長い歴史の中で見れば、非常に特殊かつ恵まれない時代に行われたものだったのです。
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そして現在。「漢方」は広まりました。「中医学」も普及しました。
先哲たちの「願い」と「祈り」は実りました。
では、これからはいったい何をするべきなのでしょうか。
後世に「簡易的な説明」を続けるのでしょうか。一時代前と同じように普及活動を続けていくべきなのでしょうか。私は違うと思います。
実学に帰るべきです。
より実践的に、本質的な意味で、当時の医療者たちが伝えたくても伝えられなかった文脈の奥を、その神髄を、読み解くべきだと私は思います。
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すでに、現在の多くの漢方家がそのことに気付き始めています。
東洋医学の長い歴史の中で、現在こそが大きな変革を迎えなければいけない時代になっているのです。
今、我々東洋医学を生業にしている者に求められるもの、それは普及や復興ではありません。
東洋医学の神髄、それをもう一度探し出すこと。
そうしなければ、血の滲む努力を続けた先哲たちに、あの世で顔向けができません。
我が国には「漢方」があります。そして「中医学」もあります。
では、私たちはこれから何を残すのでしょう。
もう漢方が良いとか、中医学の方が良いとか、
そんなことを言っている時代ではないと、私は思います。
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