八味地黄丸(はちみじおうがん)・上編
<目次>
八味地黄丸の歴史的解釈
■なぜ八味地黄丸は高齢者に使う薬なのか
■八味地黄丸と「腎」
■「腎」の解釈を基本とした八味地黄丸の薬能
■八味地黄丸の解釈に潜む「勘違い」
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漢方の世界では、有名であるが故に多くの勘違いを生んでしまっている処方がいくつかあります。八味地黄丸(別名・腎気丸)はそんな処方の一つです。
有名だから頻用されるも、勘違いのまま使われるため効果がほとんど出ません。そのため、由緒正しい名方であるにも関わらず「効かない薬」というイメージを持たれてしまいます。当薬局にお越しになる方の中にも、今まで八味地黄丸やそこから改良された牛車腎気丸(ごしゃじんきがん)を飲んだけど効かなかったという方がたくさんいらっしゃいます。
これは八味地黄丸のせいではありません。あくまで有名であるために、無鉄砲に使われ過ぎているからです。八味地黄丸にはこの薬が本来適応するべき病態があります。それを半ば無視して使われているために、この処方はこのような不遇を受けているのです。
そこで今回、八味地黄丸が実際にどのような薬であるのかを、私自身の臨床経験に基づいて説明していきたいと思います。八味地黄丸は押しも押されぬ名方です。効かなかったというレッテルを貼られてしまうことは、何とも勿体ありません。
八味地黄丸の歴史的解釈
■なぜ八味地黄丸は高齢者に使う薬なのか
現行の八味地黄丸の解説を見てみると、ほとんどの解説で「高齢者」に使うと書かれています。
これはあながち間違いではありません。確かにお年を召した方に多く使い、そして効果を発揮する傾向があります。むしろお子さまに使うということはほとんどありません。子供に八味地黄丸を使うのはド素人、漢方の世界ではそう認識されているほど、ある意味で年齢依存的な処方なのです。
その理由は、本方が「腎」という概念に直結する処方だからです。
というのも、老化現象を解釈する際にしばしば用いれる概念がこの「腎」です。八味地黄丸は人体の「腎」に働きかける薬であり、東洋医学においては、これはほぼ疑いのない常識とされています。
そのため、あらゆる八味地黄丸の解説で、必ずと言って良いほど「腎」が出てくるのです。では、どうして八味地黄丸と「腎」とは、ここまで密接に関係してくるのでしょうか。
まずは、この「腎」という概念を中心に、八味地黄丸という処方が歴史的にどのように解釈されてきたのかを紐解いていきましょう。
■八味地黄丸と「腎」
「腎」と八味地黄丸、その切り離すことのできない関係性は、この処方の本来の名称に起因しています。
八味地黄丸は、もともとの名を「八味腎気丸(はちみじんきがん)」といいます。今から約1800年前に書かれたとされている『金匱要略』という書物に載せられたのが始まりで、その書物にはいくつかの別名があり、八味腎気丸の他にも、「腎気丸」や「八味丸」という異名同方が紹介されています。
漢方の世界では、処方の「出典(世の中に最初に紹介した本)」というものに非常に重きを置きます。その処方の本来の使い方や、創方者の意図を直接知り得るヒントになるからです。八味地黄丸では、その出典に「腎気(腎の働き)」という名が冠されています。これは、普通に考えれば創方者からの大変強いメッセージであり、本方の薬能を理解する上で無視のできない要素となっています。
仮にもし八味地黄丸と「腎」とが関係ないとするならば、それ相応の理由がなければなりません。それほど八味地黄丸を考える上では、必ず「腎」を考えなければならない。本処方は出典を通じてそういう宿命を背負わされた処方なのです。
■「腎」の解釈を基本とした八味地黄丸の薬能
それ故に、本方解釈の歴史は「腎」を中心に展開していきます。そもそも「腎」とは何か、そこから理論が構築されていくのです。
東洋医学でいうところの「腎」とは、いわゆる今でいう腎臓とは異なります。東洋医学的な解釈として定義されている「腎」のことで、先人たちは「腎」のことを「寿命」や「生殖機能」の根本をつかさどる臓器、および人体の「骨」に関わる臓器だと着想しました。
生殖機能や骨は、加齢とともにどうしても衰えていきます。だから年齢とともに寿命を主る「腎」が弱ってくると、生命の根本的な活力が衰えることで、疲労しやすくなったり、足腰が弱ってきたり、生殖機能が衰えたり、排尿がうまくいかなくなるのだと考えたのです。
このように、加齢とともに(もしくは先天的に)「腎」が弱る状態を「腎虚」と呼びます。そして、この「腎虚」を回復する薬として着目されたのが八味地黄丸です。
出典においても「腰膝酸軟」と呼ばれる腰や膝のだるさや痛みに効果を発揮すると記載されています。そのことからも、老化による骨の変形や下肢の弱り、生殖能力も含めた下半身の弱りを広く改善する薬であろうと考えたわけです。
このようにして八味地黄丸は「腎気を回復する薬(補腎薬)」として解釈されました。そして後の時代において様々な改良が施され、多くの「補腎薬」が創設されることになります。小児の病に見いだされた「六味丸(ろくみがん)」は、今でも中医学の先生方が好んで使う処方です。また下肢の痛みに対して改良を加えた「牛車腎気丸(ごしゃじんきがん)」などがあります。
特に牛車腎気丸は、現在、骨や軟骨の変形を伴う痛み、つまり脊柱管狭窄症や変形性膝関節症などに応用されています。近年なぜが多く使われだした処方で、整形外科領域では八味地黄丸よりもむしろこちらの方が有名かもしれません。
これらの経緯をもって、八味地黄丸や以下のように解説される処方へと現在落ち着いているわけです。諸々の解説から主となるところを抜粋してみました。今までの解説の流れで読んでいただくと、納得できる部分が多いのではないでしょうか。
〇八味地黄丸
「腎」の働きが衰えた高齢者に元気をつける薬
高齢者に用いられることが多い薬で、体力があまりなく、疲労や倦怠感が激しく、寒がりで特に手足や腰から下が冷え、夜間にトイレへ行くことが多いような人、のどが渇く人によく用いられます。
〇牛車腎気丸
高齢者によく用いられる「腎虚(じんきょ)」を改善する薬
「八味地黄丸」に「牛膝」と「車前子」という生薬を加えた処方で、体力が低下して疲れやすく、腰から下が冷えやすい方の、しびれや下肢や腰の痛み、むくみ、排尿障害などに用いられます。
このような状態は、漢方では「腎虚」ととらえられます。「腎(じん)」は、生きるエネルギーである「気(き)」を蓄えるところで、その働きが衰えると、前述のような症状が起きてくるのです。いわば老化にともなう症状で、「腎虚」を改善する「八味地黄丸」や「牛車腎気丸」は高齢者によく用いられます。高齢者の頻尿(ひんにょう)、特に夜間頻尿をはじめ、腰痛や下肢痛、糖尿病の合併症の神経障害によるしびれなどに使用される。
■八味地黄丸の解釈に潜む「勘違い」
さて、現在このような解説に落ち着いている八味地黄丸・牛車腎気丸ですが、この解釈にこそ大きな「勘違い」が潜んでいます。
ポイントは八味地黄丸が本当に改善できる「老化による弱り」とは何なのかということ。最初に一つだけ重要なことを言えば、全ての老化現状を回復できる、そんな都合の良い薬はこの世に存在しないということです。
コラム中編においては、その辺りの現実をご紹介していきたいと思います。
学術的も臨床的にも非常に重要な処方がこの八味地黄丸です。名方であることに疑念の余地はありません。ただし、だからこそ正確に、的確に、本方を知る必要があります。
すべての漢方処方に言えることですが、そうでなければ今後、漢方は古臭い医学としてのレッテルを貼られ続けてしまいます。効かないものには効かない、効果のあるものにはその理由、そして使用方法も含めてちゃんと紐解く必要がある。そういう医学として真っ当な試みをしていかなければなりません。非力ながらもその試みの一つとして、後編では八味地黄丸の現実を解体していきたいと思います。
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中編へと続く・・・【漢方処方解説】八味地黄丸(はちみじおうがん)・中編