「雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る」
俳人・小林一茶の俳句です。
雀の子を一茶自身に例え、馬に乗った権力者に対して、非力な自分をユーモラスに詠んだ句として有名です。
優しい小林一茶の人柄が浮かんできそうな、柔らかな音を奏でるこの俳句。
ちょうちょを捕まえて塀にのぼる猫を見て、この句を思い出しました。
得意顔の猫が、塀を闊歩していきます。
そこのけそこのけ、お猫が通る。
カメラ目線をくれた瞬間に、パシャリと一枚、頂きました。
・
東洋医学は「生命」の医学です。
医学であれば当然、命を扱うものです。
その上で、東洋医学は生命全体を捉えようとした医学です。
全ての命が、虚空(地球)に生かされている、と考えているからです。
人も猫も、雀も馬も、
全ての生命は地球に生かされています。
そこに、特徴はあっても上下はありません。
生きとし生けるもの全てが、平等に地球に生かされているという思想を垣間見ることが出来ます。
東洋医学の聖典『黄帝内経』では、
人が病を得るのは、地球の規律に同調していないからだと説いています。
人を生かすのも自然、人を病ますのもまた自然。
自然は到底、人にコントロールできるものではない。
だからこそ、人が自然に合わせた生活を送らなければいけないと、永遠に説き続けています。
自然に生かされている。
そういう前提が、東洋医学にはあります。
だから、人を治すにも自然を使います。すなわち生薬です。地球が生み出したものを、薬として服用するのです。
また自然を知るように促します。すなわち季節です。
季節を知り、その都度、養生を変える。だから『黄帝内経』の思想は「歴」にも応用されています。
・
全てがそうだとは言えませんが、
昔に比べて、地球は人が住みやすい場所になりました。
今後問題を控えているとしても、食料普及は数千年前に比べれば確実に良くなっています。
天災に見舞われ命を失う危険性も、昔に比べれば、ずっと少ないでしょう。
人が地球を住みよい場所に変えてきた。
それは人の努力であり、飽くなき欲求という、人の定めでもあります。
その結果人口が増えて、生物の淘汰が始まった。
人が中心にいる地球。
今の時代では、もしかしたら『黄帝内経』は古臭いのかもしれません。
しかし、それは「美しいこと」なのでしょうか。
雀の子と、馬と、あなたはどちらになりたいですか?
そこをどけと、上から目線で闊歩する馬上の人。
群れて逃げ回る雀の子と、どちらが美しいのでしょうか。
・
地球と生命、人と地球。
その存在が、相互の依存関係から逃れなれないのだとしたら。
生きとし生きるものが、すべて共存しなければならないという前提が、もしあるならば、
私たちは今後、どう生きていかなければならないのでしょうか。
自然に淘汰され続ければ、それはきっと、人にとっては不幸です。
しかし、人が馬上にのぼれば、それはそれで、幸福と言えるでしょうか。
すべての存在が、互いに美しく共存していける関係。
このとてつもなく難しい問題を、私たちは解決しなければならない世代になっているのかも知れません。
東洋思想がもし、その解決の糸口になるのだとしたら、
もしかしたら『黄帝内経』は、今だからこそ、読むべき本だと言えなくもない。
「雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る」
あなたは雀になりたいですか?
それともお馬になりたいですか?
そういえば、最近、
雀も見なくなりました。
・
・
・