お盆の休みがあけて、本日から通常営業に戻っております。
皆さま、盆中はいかがお過ごしでしたか。
台風が来ましたね。天候が少々慌ただしかった連休でした。
皆さまが体調を崩されていないか心配しながらも、
私は盆中、基本的に家にずっとおりました。
持ち前の出不精を、いかんなく発揮しておりましたが、
東京時代にお世話になった先生に、久々にお会いする機会がありまして、
漢方談義に花を咲かせたことが、良い思い出になるお盆でした。
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押しも押されぬ昭和の大家、大塚敬節先生。
その一番弟子と目された先生に、相見三郎先生がいらっしゃいます。
今回お会い出来た先生は、その相見三郎先生のあとを継いで、臨床に当たられた先生。
相見先生の患者さんを引き継いで、治療に当たられていた先生です。
現在、青山で漢方専門のクリニックを開き、
15年前、私はその近くの薬局で、先生の処方箋を調剤しておりました。
学ぶものがたくさんあり、また勉強会にもたくさん参加させていただきました。
当時の自分はまだ駆け出しで、先生のおっしゃることをノートに取ることで精一杯でした。
穏やかなお顔と、軟かい物腰。
患者さんのみならず、すべての方から慕われるその雰囲気は、一層まろみを帯びていらっしゃしました。
そういう名医とお話をできる機会は、私にとってかけがえのないものです。
今回も、たくさんの知識と逸話、そして臨床のヒントを頂くことができました。
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漢方の技は、雑談の中で作られます。
漢方家同士が、軽く話をする。なんてことのない、簡単な会話の中で、漢方の技が作られていくのです。
臨床のヒントのようなもの。理論形成のきっかけに、なり得る種(たね)のようなもの。
だから漢方家の会話というものは、とてもエキサイティングです。
分かる人には分かる。そういう仕掛けが、ふんだんに散りばめられています。
私は師匠との何気ない雑談の中から、
本当にたくさんの知識を得ることができました。
ずっと漢方の話をしているわけではありません。
むしろ漢方とは関係のない、全然違う話をすることの方が多かったように思います。
それでもある時、ポロッと師匠の技のようなものに触れる瞬間があるのです。
おそらくその時の師匠の心持ちには、「気がつくかい?」という、一種の試しみたいなものがあったと思います。
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漢方家は、会話を大切にします。
何気ない会話ほど大切です。虚心坦懐、広く平らな心で話を感じ、興味をもって耳を傾けるのです。
今回お会いした先生も、会話をとても大切にされる先生です。
そして私の師匠もまた、会話をとても大切にされています。
会話の中で、技を磨いてきたからです。皆、雑談の中で、生きた知識を教えられてきたからです。
それは漢方家同士の会話だけではありません。患者さまとの会話も、同じです。
何気ない、目的のない会話。そういう雑談から、患者さまのことをよく知るきっかけが、多く散りばめられているものです。
私は治療に困ったときに、わざと患者さまと雑談をするようにしています。
どんな生活をされているのか、日々どのようなことに興味を持たれているのか。
何を考え、何に辛く思うのか。楽しいと思うこと、嬉しいと思うこと、そういう雑談が、ときに治療に直結するヒントを導くことがあります。
なかなか時間が取れないことも多く、そうそう出来ることではないのですが、
本当は、一見治療には関係ないことであっても、私は患者さまのことが知りたいと思っています。
今回、久々にお会いした先生から、改めて話をすることの大切さに、気付かされました。
まだまだ未熟だと感じさせられた一方で、穏やかな名医の空気に、触れることができました。
そしてそれは、名医だからこそ漂わせることができる空気。
機器を使わず、人を把握しようとしてきた漢方だからこそ、
会話に望むその心持ちに、名医の貫禄が表れるのだと思います。
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