ニキビ治療の本質は、薬物治療と生活改善との両立です。
顔中に散らばるような、一見してはっきりと分かるニキビ、
かなり強いニキビに属するものであったとしても、
私の経験上、この両輪さえ達成されれば改善することが多いものです。
ニキビは皮膚の病ですが、皮膚の病というだけでは済まされない、という側面があります。
皮膚だけの問題であれば、軟膏やピーリングなど、皮膚にだけアプローチする治療で治っていくでしょう。
そうでない方が多いところを見ると、やはりこれは皮膚だけの問題ではない。
より本質を突く治療、つまり、ニキビを治りにくくしている体のメカニズムに対して、介入していく治療が必要だと感じます。
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皮膚病は、皮膚を見ただけで治せるようにならなければならない。
初学の頃、私はそう教えられました。
皮膚の病は、皮膚を見ただけで、処方を決定できるようになるべきである、と。
当時は「なるほど」と感じ入ったものですが、
現実それは、少々詭弁です。
皮膚だけで処方を決定することは出来ないし、そうする必要もありません。
からだ全体を診ながらより大きく、「病態の流れ」を把握しなければなりません。
ニキビ治療で有名な十味敗毒湯や黄連解毒湯、荊芥連翹湯や清上防風湯などは、
ニキビの特効薬ではなく、あくまでこの流れの中の一場面において使う薬です。
昔、中医学を教わっていた頃、清上防風湯は酒呑童子型、と教えられました。
酒呑童子とは大酒飲みで暴れん坊の鬼のこと。
そんな鬼の顔には、どんぐりくらいの大きな膿がボコボコと出来る。そういう巨大で大きなニキビに清上防風湯は良く効くというお話です。
確かにその傾向はあります。「熱」の傾向の強いニキビに使うという解釈です。
清上防風湯は、比較的大きなニキビがボコボコと出来る状態に使うタイミングがあります。
しかしだからといって、大きなニキビが清上防風湯だけで治るわけではありません。
ニキビは見た目だけで、「熱」の度合いを把握することが可能ではあります。
しかし、単に「熱」と捉えて治療すれば足りるかというと、それだけでは無理です。
それが臨床の現実であり、真実です。ニキビではその「病態の流れ」を把握した上で、処方を決定しなければなりません。
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皮膚に炎症が起こる、そしてそれが治っていく。そういう人体が本質的に持つ自然治癒への流れ。
その流れが滞っているからこそ、ニキビが増え続け、治りきらない。
そういう着想を持つことが、まずは必要です。
そして、そこからが腕の見せ所になる。この流れをいったいどう把握すれば良いのか。
治療者の漢方に対する造詣が問われる所でしょう。
やはり私は、古典の読解にあると思っています。
『傷寒論』、
まずはこの聖典をどれだけ把握しているのか。
近代的な解釈を山本巌先生が解説していますが、
それだけでは足りません。一度古典に戻って、人が治ろうとする力の発動を詳らかにしなければなりません。
傷寒論に流れる、六経の構造。
専門的に言うと、そこを読解する必要があります。
さらに柴胡という生薬の把握。この生薬を使うべきタイミングを知ること。
柴胡の使い方として、しばしば胸脇苦満という症状が目標にされますが、
私見では、この解釈は全くもって当てになりません。
皮膚だけでなく、からだ全体の症状を通して、初めて柴胡の適応が見えてくる。
そういう印象があります。ニキビ治療における、要の生薬です。
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アトピー性皮膚炎や乾癬など、他の皮膚病と比べて、
ニキビ治療はやや軽視されている傾向があるように感じます。ニキビくらい治せなきゃだめだよ、と。
しかし、ニキビというものはそれほど安易なものではない、というのが私の見解です。
むしろ、漢方治療の基本を知り得た上で、それをどう応用することができるのか、
そんな治療者のセンスが求められる気さえします。皮膚科学会ガイドラインで推奨されている十味敗毒湯だけで治りましたよという方を、私は見たことがありません。
そういう意味では、皮膚病治療の基本になる病だとも言えます。
オデキの治療を知り得て、それを応用することで初めてニキビを治すことができる。
更にその発想を応用することで、他の皮膚病の治し方が分かってくる。
ポイントはやはり、人がもともと持っているもの。
治ろうとする力の流れを、知ることだと思います。
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■病名別解説:「ニキビ・尋常性ざ瘡」