漢方治療の経験談「パニック障害治療」を通して

2021年05月08日

漢方坂本コラム

臨床をはじめてまだ十年余の若輩者ではありますが、初学の頃と比べて治療の考え方がガラッと変わった、そんな病があります。パニック障害です。

基本的にパニック障害は、心理的・精神的な要因が多分に関与していると考えられています。だから東洋医学ではその「気持ち」を整えるべく「気剤」を使う。今まではそう考えてました。

その理由は教科書にそう書いてあるからです。特に中医学の教科書。そこには「気剤きざい」を使えと書いてあります。

何らかの強い精神的ストレスがきっかけとなって起こる。そういう時は身体に「気滞きたい」や「気逆きぎゃく」がおこる。だから漢方では「気」を整える必要がある。桂皮けいひ紫蘇葉しそよう香附子こうぶし柴胡さいこなどの気剤を使って対応する。これが教科書的な基本です。

しかしこれは違うと思います。これではパニック障害が治らないからです。

紫蘇葉や柴胡などが入っている香蘇散こうそさん半夏厚朴湯はんげこうぼくとう加味逍遥散かみしょうようさん四逆散しぎゃくさんを、単に気を調えるという意味で使っても効果はありません。はたまた桂皮剤である苓桂朮甘湯りょうけいじゅつかんとうや、ちょっと工夫したつもりで甘麦大棗湯かんばくたいそうとうなんかを使ってもほとんど改善しません。そういう現実を目の当たりにして理解したのです。パニック障害は単に「精神的な病」、そして「気滞」や「気逆」という考え方だけでは治っていきません。

そもそもパニック障害に「気剤」を使うというのは、「精神的な病は気が乱れている、だから気を整える」という解釈に基づいています。確かに分かりやすい。ですがこれは、はっきり言って短絡的に過ぎます。

まず最初に、パニック障害は決して「精神的な病」というだけのものではありません。多くの患者さまはこう言われます。なぜこんな状態になったのか分からないと。もしかしたらストレスが原因だったのかなと。もしくは医療機関で「原因はストレスです」と言われたからそうだと思っていると。はっきりと何らかのストレスを自覚した時から起こったというかたの方が、実際にはまれなのです。

そのため、精神療法的アプローチをもって心理的側面から改善を図ろうと思ってもなかなか上手くいきません。むしろ心ではなく、カラダにこそ問題があると捉えるべきです。緊張や興奮が胸にきてしまう。そういうカラダの不調がまずあってこそこの病が起こる。そういう捉え方をすることがとても重要で、なぜ「胸にくるのか」を考えることが本当の意味での東洋医学的解釈だと私は思うのです。

そして「精神的な乱れに対しては気剤」という考え方。これがもうほとんど臨床においては役に立ちません。

そもそも「気」という概念、この概念の教科書的定義が非常に曖昧です。生命活動をつかさどるエネルギーというような神秘的な解釈が為されていますが、本当に「気」の解釈はそれで良いのでしょうか。そういう曖昧な概念の上に成り立った「気剤」という解釈にも、どこか神秘的な薬能があるかのように語られがちです。しかしそんな都合の良い薬は世の中に存在しません。「気」と言えば何となく分かったように感じる、そういう解釈では臨床という現実ではまったくもって通用しないのです。

ちなみに「肝」の失調が原因、なんて解釈も同じです。「肝気鬱結かんきうっけつ」という便利な解釈は捨てたほうが良い。便利なだけで、パニック障害においてはほとんど役に立ちません。これはパニック障害だけに言えることではないのですが、世の中の漢方解説には、実に短絡的に過ぎるものが多いという印象があります。

なぜ動悸が起こるのか。なぜ呼吸が苦しくなるのか。なぜ血の気が引くような目眩が生じ、なぜ同時に吐き気をもよおすことがあるのか。その身体的な原因を詳らかにしなければ、そしてそこを突かなければ、パニック障害は治まりません。そして予期不安も、改善へとは向かわないのです。

どうして深く息が吸えなくなってしまうのか。

「気滞」とか「気逆」とか「気剤」とか、そんな曖昧な概念はいったん置いておく。単純に「なぜ深く吸えなくなるのか」を見極めようとした時から、治療の考え方がガラリと変わりました。短絡的に考えてしまうことと、簡略化して考えることとは、まったくの別物だということ。結局はそこに気が付いたということだと思います。



■病名別解説:「パニック障害・不安障害

【この記事の著者】店主:坂本壮一郎のプロフィールはこちら