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美は、自分自身になることを決めた瞬間から始まる。
-ココ・シャネル-
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私は物事を、
「綺麗ごと」だと言って片付けようとするのが嫌いです。
例えそれがどんなに現実離れしていようとも、
綺麗ごとという理由だけで、否定してはいけないと思うのです。
確かに現実に難しいことであれば、綺麗ごとだと言いたくなる気持ちは分かります。
ただそれが本当ならば理想的であり、そうなれば良いと他者も思えることなのであれば、
その理想をできれば追いかけるべきです。もし無理であったとしても、それを大切に受け止めておくべきです。
綺麗ごととはその人が持つ理想です。
叶わないもしれないけれども、本当であればそうあるべきという信念です。
だから綺麗ごとだと決めつけることは、時にとても悲しいことだと思うのです。
特に医療においては。
綺麗ごとを言えなくなったら、そんな医療は終わりだと私は思うのです。
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さて、この話自体が綺麗ごとであることを、
重々承知の上で今回、私は何を言いたいのかというと、
こと漢方においては、この「綺麗ごと」を求めることが非常に大切だということ。
綺麗ごとを求める感覚やセンスが、臨床の腕を大きく左右するということです。
ここで一つことわっておくと、
患者さんの言うことがいかに現実的でなくてもそれを認めて患者さんに寄り添いなさい、という意味ではありません。
それは大切なことですが、ここで言いたいことではありません。
綺麗ごとを求めるそのセンスが、漢方理論の造詣を深める要素になり得る、という話をしています。
どういうことかと言うと、
例えば不可解なことや、矛盾に満ちた東洋医学の中で、
その理論の軸となるひらめきや発見の多くは、時に綺麗ごとを求めようとする姿勢により導き出されます。
なぜならば綺麗ごとを求める姿勢とは、その人のもつ「美意識」に他ならないから。
そして自身の美意識に対する姿勢が、想像力の質となって東洋医学理論の構築に反映されるからです。
美意識には理由がありません。好きなものは好きで、嫌いなものは嫌いです。
そういう理屈の通じない、人に説明することのできない感性を大切にしつつも、
時にそれを削って磨き、時にそれを押し通す力を持つこと。
その姿勢が、構築する理論に如実に反映されるからこそ、
たとえそれがどんなに綺麗ごとだと揶揄されたとしても、
研ぎ澄ませた自らの美意識を信じてみる。その美意識を大切にするべきです。
美意識こそが想像力の質を決め、
想像力こそが、個性となって自分の理論を構築する力になる。
つまり自分自身の美意識に向き合うことで初めて、
東洋医学という未踏の地、その歩き方を、見つけ出せるようになります。
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例を一つ。
私が初めて師匠にお会いし、その理論の骨組みを聞いた時、
とてもびっくりしました。
なぜなら劇的にシンプルだったからです。
あれやこれやと言葉を作り、それを使って説明しようとする東洋医学。
特に中医学に色濃く見受けられるその傾向からすれば、まったく逆と言ってよいほど削りに削ったものでした。
もしかしたら人によっては、なんだその綺麗ごとは、臨床で本当に通用するのかと、言われてしまうような内容だったのかもしれません。
しかし違います。逆なのです。
臨床で磨かれたからこそ、理論がシンプルで、綺麗ごとだと思われてしまうくらいに研ぎ澄まされたのです。
そのシンプルさは、おそらく師匠の美意識によって作り出されたものです。
ゴテゴテとした無駄を省き、極力使えるものだけを残した。
そして一つ一つの点が線で繋がり、形作られた理論がご自身で美しいと思えたからこそ、
腑に落ちそれを許容することができた。故に師匠の技になったのです。
その技は、単なる知識よりもずっと有力です。治療という形で現実の世界に変化をもたらし得る強い力です。
ただそれは、そもそも想像力により作られたもの。
師匠のもつ美意識、そこから組み立てられた想像性、
それこそが、師匠を師匠たらしめている。
つまり美意識こそが、師匠という漢方家を作り上げたのです。
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ここからは私の思い込みですが、
師匠は多分、生徒と話す時に、その生徒の感性を常に見ていました。
知識ややる気、志の高さなどはもちろんのことですが、
最も大切なものとして、その人の感性に着目しておられたはずです。
私も同業者とお会いするときに、この人は凄いなと感じるポイントは、
その人から滲み出る感性です。あ、こういう感性を持っている方なんだぁと感動したり、逆に興味を失ったり。
感性なんて話しただけで分からないだろうと思うかも知れませんが、
ところがどっこい分かるのです。
言葉使いや話し方、所作、持ち物やその扱い方に至るまで、
人が行うあらゆる行動、
そこに感性がどうしても滲み出てしまうものです。
それほど人にとって、感性とはゆるぎない個性を作り上げている。
だからこそ、知っておくべきです。
自分の美に意識を向ける、そうすることで初めて個性が生まれることを。
それはつまり何を美とするのかという感覚が、自分自身を作り上げている、ということです。
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美は、自分自身になることを決めた瞬間から始まる。
ココ・シャネルが言うこの言葉は、
人から与えられた美ではなく、自分自身の美意識に目を向けた時に、
美は初めて生まれるということです。
さらに「自分自身になること」と「美しさ」とは、同じ瞬間に生まれるということ。
すなわち自分の美意識を培う行為こそが、自らを育むということです。
人が持つ美意識、
そこから滲み出る想像力、
たとえそれが個人的な願いや理想であり、綺麗ごとだと言われたとしても、
美意識こそがあらゆる選択の基盤となって、その人の行動を作り上げている。
美意識・感性・想像力が乏しければ、
いくら知識やお金があったとしても、それを正しく使うことはできません。
現在は知識やお金、そして人気など、そういう即物的なものが目立ち、
そこに憧れてしまう人が多い時代だからこそ、
自分の美意識を鍛え、磨くこと。
それって本当に美しいのか?、という問いを常に、
自分自身に持ち続けているべきです。
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漢方坂本/坂本壮一郎|note