漢方治療では、症状が一つしかないというケースは稀である。
必ず複数個ある。ご本人が気にしていないことも含めれば、相当数ある。
複数症状を同時に解決するというのが、漢方治療の宿命。
であるならばその時、陥りやすい失敗がある。
症状に振り回されること。
数多有る症状に溺れて、本質を見失うこと。
漢方治療は羅列された症状から紐解くパズルではない。
発想が求められる治療。
特に自律神経の乱れにおいては、
この発想力が常に求められている。
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50歳、女性。
最初にお会いした時、
その主訴を一番物語っていたのは「瞳」だった。
不安感。
浮腫み、血色の悪いお顔で来局された患者さまの、
治したいことは、とにかく「不安」。
口調に焦りがあり、
落ち着くことのできない、焦燥感がある。
全身の力が抜けるような症状をきっかけに、
不安感が続き、病院ではパニック障害と診断された。
聞けば、さまざまな心労と過労とが重なる中、
4か月前に発症。
それ以来、不安を主として様々な症状に振り回されている。
聞けば聞くほど、
おっしゃっていることに、とりとめがなかった。
自律神経の乱れ。
その典型例といっても良かった。
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調子は日によって違う。
ただし、不安感はずっと続いている。
気力が湧かず、生活に身が入らず、
心身の不調が起こることが不安で、
常日頃から、それが恐怖である。
動悸や息苦しさが突然くる。
フワフワしためまいや、頭の重さがある。
特に眉間やこめかみ、後頭部や首筋が突然重くなり、
朝、食事を摂ると、血の気が引き、顔から冷や汗が出てくる。
空腹時に起こることもあるが、
食欲がないわけではない。
むしろ過食の傾向があるかも知れない。
そのためか、常に胃が張って苦しい。
咽の腫れた感じがずっとあり、
狭まっているような、常に圧がかかっているような感じがある。
やや軟便傾向だが、便秘や下痢はなく、
小水に問題はないものの、常に体が重い。
その疲労感たるや、生活を諦めたくなる感覚で、
寝つきも悪く、眠りも浅い。
起きても疲れが全然取れていない。
からだ全体が浮腫み、それでいて口の乾燥がいつまでも続いていて、
更年期に差し掛かっているからだろうか、ここ数ヵ月、月経も来ていなかった。
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不安・不眠・動悸・息苦しさ。
頭重・めまい・疲労感に胃のもたれ。
血の気が引く感覚と口乾、咽のつまり。
自律神経の乱れに、更年期の関与も考慮する必要がある。
挙げればきりがない。悩まれている症状のなんと多いことか。
私は患者さまに、思いつくまま全ての症状を挙げてもらった。
上記はその一部。おそらく時間をかければ、よりたくさんの症状が出るだろう。
思いつくままの症状を、全て聞かせていただいたが、
その多さに、患者さま自身が話しながら疲れてしまいそうだった。
そもそも漢方治療は、
症状から病態を把握する。
一つ一つの症状に効く薬を出す。それが基本であり、そういう治療で治れば分かりやすい。
例えば不眠なら、酸棗仁湯だろう。
咽の詰まりなら、半夏厚朴湯である。
不安感があり胃が調子悪いなら、半夏瀉心湯も選択肢の一つになるし、
症状にとりとめがなく、更年期の関与があるならば加味逍遙散か。
不安感を主とすれば、桂枝加竜骨牡蛎湯や柴胡加竜骨牡蠣湯、また柴胡桂枝乾姜湯や甘麦大棗湯など、
それこそ多くの処方が挙げられる。
こうやって一つ一つの症状から、処方を結び付けていく。
しかしそういう治療では、
自律神経の乱れを治すことはできない。
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これらの症状は、治すべき症状であると同時に、
体が起こしている悲鳴である。
本質から放たれた「サイン」として捉える。
であるならば、捉えるべきは症状ではなく、その奥にある本質。
そういう考え方をする。そうでなければ、治療が混乱してしまう。
症状に振り回される。
方針のない治療は、数打つ鉄砲と同じ。
そのことを念頭において、臨まなければ治せない。
自身の経験として、これははっきりと言えることである。
症状の裏にある、本質を突けるかどうか。
そして今回にも、その本質がある。
比較的明らかだと言って良く、
私はある段階から、それを患者さまから見て取ることができた。
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患者さまの症状は、結局の所、すべての症状が同一の原因に帰結できる。
今回はそこを突けば良い。
不安感という主訴でさえ、その本質からの派生だった。
漢方では、心だけを改善することは出来ない。
いくら不安に効く薬を服用しても、不安にだけ効く薬など用意されていない。
必ず「体」を見る。体と心とが関連しているという着想を持つ。
私が聴いていたのは、あくまで体調。
突くべき体の要点に、ずっと耳を傾けていた。
曰く、呼吸だと。
曰く、血の気が引くと。
患者さまの口からは、要所要所でその要点を自らおっしゃられていた。
「煩驚」と呼ばれる過緊張状態。
今回示していたのは、正にそこである。
すでに1500年前から、東洋医学では指摘されている現象であり、
当時「煩驚」は、間違えた治療によって起こる一時的な病態として紹介された。
しかし、これは継続することがままある。
若干の改良を必要とするが、使うべき処方はある程度決まった。
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そしてもう一つ、
今回はいくら的確な処方を選べたとしても、
それだけでは、改善へと導くことができない。
治療は道のりであるということ。
治療には、必ず波を打つということ。
自律神経の乱れを、本気で治そうと思った時、
治療が道のりであるということを、理解することが不可欠である。
服用して良くなった感覚があっても、必ずその後、また悪くなる日が出てくる。
そういう波を打ちながら、自律神経は安定していく。
むしろ、波を全く打たない改善はあり得ない。
治療は症状を無くすことではなく、症状を安定させることである。
例えば睡眠不足や食事による消化管への負担、
また天候や月経、過労や精神的なストレスなど。
多くの変化に伴って、必ず自律神経は乱れる。
一旦落ち着いてきた症状であっても、またぶり返すことが必ずある。
しかし、その時諦めずに治療を続けること。
体の中から調え続ければ、また落ち着く時が必ずやってくる。
一つ一つの波を乗り越えながら、
的確に本質を突き続けた先に、自律神経症状は完治へと到達する。
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私がやろうとしている治療、
そして治療が道のりであるということ。
さらに改善への条件となる養生。
そのことを、患者さまにご説明した。
不安を抱えながらも、患者さまには理解していただけた。
納得しながら治療する。この理解と納得が、治療には不可欠になる。
患者さまのリアクションから、まずはスタートラインに立てたと感じた。
あとは道のりを進むだけ。
私は二週間分の薬を出した。
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二回目の来局時、
素早い効果の実感に、二人で喜んだ。
まず味が飲みやすく、香りがスーッと心地よい。
そして早々に月経が来た。
同時に頭重が去り、良く眠れるようになった。
胸のざわつきは残っているが、不安感は比較的落ち着いている。
めまいも今の所、起こっていない。
初手の成功。
しかし未だ初手。
ここから先、必要なのが道のりであるという理解。
患者さまにはすでに言う必要はなく、
このまま養生を続けていきますと、笑顔で答えて頂けた。
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5か月。
今回の治療にかかった時間である。
かなり早い回復だと言って良い。
当然波を打ちながらではあったが、この速さはもともとの患者さまの強さに起因していた。
生活上、その強さを削るほどの負担があったということ。
そしてその負担を的確に消せたということ。
養生の勝利である。薬方がそれを助けたことも大きい。
患者さまは最後に、自信がついたとおっしゃられた。
自信。不安と対極にある言葉。
患者さまの瞳に、もう不安の色は無かった。
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自律神経失調の治療は難しい。
先代である父もそう言っていた。
私もそう思う。だからこそ、
改善へと向かうための手法を、二代に渡って探り続けてきた。
その中で、父は「症状に振り回されるな」という口訣を残した。
そして私は、それを実践するためにはどうしたら良いのかを考え続けた。
未だに考え続けている。自律神経失調の治療は難しい。
ただし臨床を経て、
本質の見方は、徐々に分かってきた。
そう思ってある時、『傷寒論』を見返した。
すると、すでにそのことが書かれていた。
驚いた。しかし、本当はそうではないのだ。
やっと、書かれていることを理解できるようになったのだ。
父と私、
気付くのに二代かかった。
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■病名別解説:「自律神経失調症」
■病名別解説:「パニック障害・不安障害」