帰脾湯・加味帰脾湯(きひとう・かみきひとう)
<目次>
帰脾湯の来歴
■帰脾湯の由来と薛己(せつき)
■帰脾湯の原型・補中益気湯
■帰脾湯創方の意図
帰脾湯の適応病態
■帰脾湯と補中益気湯との違い
1、帰脾湯が適応する「疲労」とは
2、帰脾湯が適応する「興奮」とは
帰脾湯の実際
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心療内科系の漢方薬として有名な帰脾湯・加味帰脾湯。
薬局では「心脾顆粒」という名称でもしばしば販売されています。
医療用漢方製剤の添付文章によれば、本方は「虚弱体質で血色の悪い人の貧血・不眠症」に使う薬と記載されています。
また同時に「不安症状」や「抑うつ症状」を和らげる働きもあります。したがって「体の弱い人の精神症状」に対して、第一選択的に使われている傾向があります。
ただし、ここで問題になるのは、本当にこれだけの情報で使ってしまって良いのか、ということです。
体の弱い人が起こす不安症状に使う薬は帰脾湯だけでありません。桂枝加竜骨牡蛎湯や香蘇散、また半夏厚朴湯などもその一つだと言えるでしょう。
そしてこれらの処方の解説にも、ほとんど同じことが書かれています。「虚弱体質・体が弱い」という説明が簡易的に過ぎていて、良くわかないというのが正直なところです。
そこで、今回はこの処方の方意をもう少し深く掘り下げていきたいと思います。
帰脾湯を理解するポイントはやはり「歴史」です。どういう意図をもって作られた処方なのか。まずはこの辺りから解説していきたいと思います。
帰脾湯の来歴
■帰脾湯の由来と薛己(せつき)
帰脾湯という処方が初めて世に登場したのは『済生方』という書物です。
この時はまだ現在の帰脾湯に入っている当帰と遠志が入っておらず、後の『玉機微義』で当帰が加えられました。
そしてさらに明代になって『薛氏医案』にてこれに遠志が追加されます。帰脾湯はこういう段階を経て、現在の姿を完成させました。
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帰脾湯を完成させた『薛氏医案』。
この書物は薛己(せつき)という人物によって書かれました。
薛己は明代の名医で、その父親も医者です。父・薛鎧(せつがい)は小児科を得意とし、薛己は外科治療(おできなど)に長けていました。
そして、この薛己に強く影響を与えた人物がいます。
一時代前の名医、李東垣(りとうえん)です。このコラムでも以前紹介したことのある補中益気湯、この名方を作った人物です。
李東垣が提唱した学説は、後の時代にも影響を与え続けました。そしてそれを特に強く受けたのが、この薛己でした。
私から見ると、薛己が作り上げた処方には李東垣の学説が色濃く感じられます。
帰脾湯はおそらく、名方・補中益気湯の影響を直接的に受けています。
つまり帰脾湯の薬能は、補中益気湯と同一線上にあると考えれられます。したがって、まずは名方・補中益気湯の方意をここでおさらいしてみたいと思います。
※以前に処方解説を行っておりますので、そちらも合わせて参照してください。
→【漢方処方解説】補中益気湯(ほちゅうえっきとう)・前編
■帰脾湯の原型・補中益気湯
補中益気湯は、元気を補う補気剤の筆頭です。
主に免疫力の低下を伴う疲労状態に用いられる機会が多い処方ですが、本方が適応するのはもっと日常的に起こりやすい疲労です。
普段は元気な方であっても、無理をすれば誰しもが疲れます。そういう日々の疲れに対して優れた効果を発揮する名方ですが、補中益気湯は単なる疲労回復薬ではありません。
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補中益気湯を紐解くと、この処方には大きく2つ方意が内在しています。
ひとつは身体の「火(興奮)」を鎮めるための処方であるということ。そしてもう一つは、消化機能を鼓舞することで、その火を沈静化させようとした処方であるということです。
人は頑張り続けているうちに逆に頭が冴えてくることがあります。疲労しているのにも関わらず、いつまでもやり続けることが出来るような状態に陥ることがあります。
徹夜を続けているうちに逆に眠たくなくなり、気分がハイになってエンジンがかかりっぱなしになってしまうような状態です。李東垣は、この興奮状態を「火」と名付けました。
つまり「火」とは、決して稀有なものではありません。人が日常的に起こしやすい、頑張り過ぎた時に誰しもに起こり得る、このような興奮状態のことを指しています。
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そしてこういう興奮を継続してしまう人は、当然疲労を蓄積させていきます。そして疲労が積み重なると、さらに興奮が収まらなくなるというループに突入します。
人には興奮をおさめる力があり、これが疲労により消耗してしまうためです。興奮するから疲労する、そして疲労するからこそ興奮する。李東垣は継続する「興奮」と「疲労」とが相関するという現象に着目しました。そして、まさにそこを突かんとする薬として補中益気湯を創方しました。
■帰脾湯創方の意図
そして、薛己が考案した帰脾湯にもこの薬能が秘められています。
疲労を回復することでおさまる興奮があるという学説。それをそのまま受け継いだ処方が、薛己が完成させた帰脾湯です。
さらに薛己は李東垣が提示したこの興奮が、さまざまな精神症状を伴うことを発見しました。
不眠や不安症状やうつ症状といった、精神の興奮からくる諸症状を併発してくる。そこで補中益気湯をベースに、さらに薬を取捨選択して改良したというのが、帰脾湯創方の意図なのです。
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「疲労」と「興奮」との相関。興奮をおさめるためには、疲労を取る必要があるという着想。
そういう李東垣の学説を受け継いで改良が重ねられた帰脾湯。したがって帰脾湯が適応する病態にも、この「疲労」と「興奮」とが必ず関与してきます。
ただし、一口に「疲労」といっても、その状態にはさまざまなものがあります。
また「興奮」に関しても、さまざまな質や度合いがあります。
帰脾湯が適応となる「疲労」と「興奮」は、補中益気湯のそれとは同じではありません。
より深く、かつ絡まるという印象。詳しくみていきましょう。
帰脾湯の適応病態
■帰脾湯と補中益気湯との違い
1、帰脾湯が適応する「疲労」とは
帰脾湯と補中益気湯とでは、適応する「疲労」が違います。
まず補中益気湯ですが、この処方は決して重度の疲労に使うべき薬ではありません。
終末期医療において使われる傾向があるものの、そのような場ではあまり効きません。
より日常的な疲労、つまり誰しもに起こり得る普段の疲れという範疇で、効果を発揮してくる処方です。
一方帰脾湯は、それより深い状態の疲労に適応する印象があります。
ただし胃腸が極端に弱いとか、寝たきりであるとか、そこまで落ちている状態でもありません。
帰脾湯が適応となる疲労には、ある種の方向性があります。
血が少ない、という印象。つまり「貧血」です。
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ここでいう「貧血」とは、東洋医学でいうところの「血虚」ではありません。
東洋医学特有の概念で説明される「血」が少ないのではなく、あくまで実質的に「血が少ない」と感じさせる状態を指しています。
ただし、血液検査上の「貧血」が介在している場合だけを指しているわけでもありません。
そこまでいかないまでも、その傾向がある、つまり「貧血っぽさ」を感じさせる疲労状態に帰脾湯が効いてくるという印象があります。
例えば、人は貧血の状態が関与していくると、皮膚の色がくすんで黄色っぽくなります。
特に顔や手のひらにその傾向が強く、また舌の色が淡くなったりもします。
検査で問題がなかったとしても、そういう傾向を持つ方が実際にいます。粘りの効かない虚脱感と伴に、そういう貧血の傾向が体に表れている場合に、帰脾湯は良く効いてくれる処方です。
さらに貧血の傾向には大きく2にの方向性があります。一つは「黄胖」といって体が浮腫んでくるタイプ。そしてもう一つは「痿黄」、すなわち体が萎えて細くなるタイプです。
帰脾湯が適応するのは後者のほうで、浮腫んで青白くなっていくような方に使う処方ではありません。あくまで萎えて、痩せて、黄色くなってくる印象の貧血傾向であることが、本方適応のポイントになります。
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帰脾湯は各種出血などを改善する薬能もありますが、これは本方が貧血の傾向に対応し得る方剤だからです。
出血と貧血とに適応する処方。同じような効能を持つ薬に「四君子湯」があります。
帰脾湯は補中益気湯に倣いながらも、より四君子湯に近い方意を持つ処方です。
帰脾湯は「痿黄」と呼ばれるある種の貧血傾向を介在させた「疲労」に対して作られた処方であるということ。体に血を入れ込む、滲み込ませるという意図をもって構成された処方です。
ただし、だからといって帰脾湯は、非常に疲労の重い状態に使う薬ではありません。
貧血があるといってもそこまで重い状態ではない。補中益気湯が、元来頑張り続ける体力がある方こそが陥る興奮状態に用いる薬であることと同じように、それに倣う帰脾湯も、あくまで気持ちで頑張りを効かせるだけの体力が残されている状態において使うべき薬です。
貧血の傾向はある、しかし未だに気を張る力はある。このあたりの虚実の見極めが、帰脾湯運用のコツになります。
2、帰脾湯が適応する「興奮」とは
さて、帰脾湯のプロトタイプである補中益気湯は、疲労を去ると同時に、身体の火、つまり「興奮」を目標にする処方でもあります。
したがって帰脾湯にも「興奮」をおさめる力があります。むしろ、補中益気湯にはない興奮状態を沈静化させる薬能を持っています。
不安感や焦燥感、抑うつ傾向や恐怖感などは、元来補中益気湯適応の範疇を超えた症状です。しかし帰脾湯の構成には、こういった精神症状を解除するための意図が明らかに見て取れます。遠志という鎮静薬を加えたことからも、薛己は明確にその意図をもって帰脾湯を構成しています。
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ただし、この興奮への薬能を強めた結果、帰脾湯はその適応の幅を狭めることになります。
実は漢方における数多の疲労回復薬は、ほとんどの薬で興奮をおさめる薬能を秘めています。
興奮と疲労とが相関するという考え方は、何も補中益気湯や帰脾湯の専売特許ではないのです。
例えば、疲労を回復する桂枝湯にも自律神経を安定させる効果があります。
また胃腸薬であり疲労を去る六君子湯でさえ、気持ちが落ち着き良く眠れるようになるという方がいらっしゃいます。
寝つきが悪いとか眠りが浅いといった不眠症状や、疲れてくると鬱っぽくなるとか、そこはかとない不安感があるといった症状であれば、何も帰脾湯を使わずともその他の疲労回復薬で十分であることが多いのです。
つまり、帰脾湯は興奮への配慮を極端に施した結果、その適応の幅を狭めたことになります。
帰脾湯が適応する精神症状は、日常的に起こるレベルをやや逸脱しているという印象があります。
そのため、適応としてはうつ病や神経性食思不振症などに用いられる機会が多いようです。ただしこれらの病は非常に複雑で、専門的な知識の上で、西洋学をベースにして対応しなければならない病です。そのため漢方一本、帰脾湯一本で改善できるかというと、やはり難しいというのが正直なところだと思います。
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帰脾湯は補中益気湯に倣い、「疲労」と「興奮」とを相互・同時に改善していく方意を内包していますが、「疲労」と「興奮」とのレベルを一段深めた状態を想定して作られた処方です。
貧血の傾向を介在させるような疲労だからこそ、そこから発せられる興奮状態も複雑な様相を呈してくる。
帰脾湯はそのような場において使うべき処方ですが、発せられる興奮の様相はかなり絡み合っていて、その傾向は非常に見極めにくいものです。
不眠や不安感、鬱っぽさとということだけを目標にするだけでは、的確に運用することが難しいという印象があります。そのため、興奮症状そのものに特徴があるというよりは、貧血傾向を介在させる疲労だからこそ発せられるという点に着目するべきでしょう。
帰脾湯に山梔子と柴胡という、興奮を冷ます薬をさらに加えた処方が加味帰脾湯です。この辺りの配剤も、帰脾湯が本質的に備えた興奮状態の複雑さを垣間見せる加減方だと感じます。
ここで一つ、治療例を紹介しましょう。
江戸時代の名医、百々漢陰の『梧竹楼方函口訣』より抜粋・意訳します。折衷派の名医らしい、的を射た運用だと思います。
「20歳代の男性で元来虚弱な体質で、ある朝早く起きて商売の帳尻を合わせていたところ、取引を間違えてよほど損になっていることが分かり、ひどく心配した。すると急に顔色が悪くなり、胸の気持ちも悪くなって、その夜吐血した。それからは物事に驚きやすくなり、動悸がしたり、眠れなかったりするようになった。そこで帰脾湯に山梔子と柴胡を加えた加味帰脾湯を与えたところ、すっかり良くなった。」
頑張り続けたことによる、おさめられない興奮。虚弱とはいえ、もともと仕事を頑張る気力があるという点。さらに、ショックからおそらく顔が土気色になったのでしょう。吐血まで起こすような強い興奮が発せられ、焦りや恐怖、不安や不眠といった複雑な精神症状が垣間見れる症例です。
短いながらも加味帰脾湯適応の要点がつまっている、まさに本方の正証です。
帰脾湯の実際
虚弱な方のうつ症状や不眠に使われやすい帰脾湯ではありますが、実際私の経験では、単に弱い方の精神症状というだけで用いたとしてもあまり効きません。
補中益気湯と同様に、優しい処方であることは間違いありません。したがって、帰脾湯を長服しているうちに何となく疲れが取れた、不正出血が止まった、眠れるようになったという方は確かにおられます。
ただし、一言に虚といっても様々な状態があります。そして虚状から発せられる興奮にもさまざまな状態があります。
これらの特徴を感覚的に理解し、それを見極めて選択しないと的確に運用することができない処方です。
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当薬局におかかりになられる方では、すでに帰脾湯や加味帰脾湯を服用したことがあるという方が、かなりいらっしゃいます。
そして効果がなかったという話を散見するのは、おそらくこの帰脾湯が、心脾両虚のような表層的な理解だけで使われているケースが多いからではないでしょうか。
私見では、帰脾湯は頻用されているほど簡単な処方ではありません。
おそらく俗にいう気虚や血虚、脾心両虚などという言葉だけでは決して理解することができない。
有名処方であるからこそ、体の弱い人の向精神薬という位置づけで、安易に使われ過ぎているという印象です。薛己の名誉を汚さないためにも、運用には細心の注意を払いたいものです。
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