「なで肩には気を付けろ」
剣道において、使われる言葉だそうです。
対峙した時に、相手がなで肩である場合、
おそらく強いぞと。
「脱力」の大切さを言っているのだと思います。
肩の力を抜くというのは、
簡単なようでいて、実は難しいものです。
人は何かをしようとするとき、そこに意図がある時、
どうしても力が入る。力みは則ち、その意図の強さを物語っています。
だとしても、力めば力むほど、最高のパフォーマンスが挙げられるわけではない。
むしろ上手くいかない、空回りすることが多くなります。
意思は強く。でも体の力は抜いて。
その実現を求めて日々鍛錬を重ねるのが、武道の柱の一つなのでしょう。
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人は生まれながらにして、すでに十分であるという考え。
私はこの考え方が、東洋医学の根底にあるような気がしています。
『黄帝内経』という東洋医学の聖書には、
歴や天候を見て、それに則した活動を行いなさいと書いてあります。
寒ければちゃんと着て、熱ければ日をよけて、
太陽が出ていれば活動し、太陽が沈めば早めに寝る。
当たり前のことですが、それが大切で、
則ち単に当たり前のことをしていれば、人はそもそも病みにくいということです。
人には智恵があります。
自分がしたいこと、その欲求、思い通りに生活できる知恵があります。
たとえそれが、本当に体が欲していることでなかったとしても、
思い通りに物事を進める、頭の良さがあります。
ただその頭の良さが、
もともと十全たる生命の邪魔をしてしまっているとしたら、
『黄帝内経』に書かれていることは、当たり前のことではなく、
知恵を持つ人間だからこそ、最も難しいことなのかもしれません。
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我欲を捨てることはできません。
それが現実で、人間の宿命だと思います。
ただ、制御することは可能です。
肩の力を抜くとは、そういうことを言っているのではないでしょうか。
武人が道として、究めんとするほどに難しいこと。
悟りを開かんとする、お坊さんが求めるような高尚なことです。
我欲の制御は、それほど難易度が高い。
私を含めた、ほとんどの人が出来ていないと思います。
でも欲のうちの一部は、制御できる気がしませんか。
食事と、睡眠と、運動と。
それが肩の力を抜いて出来るようになったならば、
その時こそが「脱力」の領域。
生きるままに、自分を活かす。
自分に備わるポテンシャルを、
最も美しく発揮できる状態です。
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