脱力の領域

2024年02月28日

漢方坂本コラム

「なで肩には気を付けろ」

剣道において、使われる言葉だそうです。

対峙した時に、相手がなで肩である場合、

おそらく強いぞと。

「脱力」の大切さを言っているのだと思います。

肩の力を抜くというのは、

簡単なようでいて、実は難しいものです。

人は何かをしようとするとき、そこに意図がある時、

どうしても力が入る。りきみは則ち、その意図の強さを物語っています。

だとしても、力めば力むほど、最高のパフォーマンスが挙げられるわけではない。

むしろ上手くいかない、空回りすることが多くなります。

意思は強く。でも体の力は抜いて。

その実現を求めて日々鍛錬を重ねるのが、武道の柱の一つなのでしょう。

人は生まれながらにして、すでに十分であるという考え。

私はこの考え方が、東洋医学の根底にあるような気がしています。

『黄帝内経』という東洋医学の聖書には、

歴や天候を見て、それに則した活動を行いなさいと書いてあります。

寒ければちゃんと着て、熱ければ日をよけて、

太陽が出ていれば活動し、太陽が沈めば早めに寝る。

当たり前のことですが、それが大切で、

則ち単に当たり前のことをしていれば、人はそもそも病みにくいということです。

人には智恵があります。

自分がしたいこと、その欲求、思い通りに生活できる知恵があります。

たとえそれが、本当に体が欲していることでなかったとしても、

思い通りに物事を進める、頭の良さがあります。

ただその頭の良さが、

もともと十全たる生命の邪魔をしてしまっているとしたら、

『黄帝内経』に書かれていることは、当たり前のことではなく、

知恵を持つ人間だからこそ、最も難しいことなのかもしれません。

我欲を捨てることはできません。

それが現実で、人間の宿命だと思います。

ただ、制御することは可能です。

肩の力を抜くとは、そういうことを言っているのではないでしょうか。

武人が道として、究めんとするほどに難しいこと。

悟りを開かんとする、お坊さんが求めるような高尚なことです。

我欲の制御は、それほど難易度が高い。

私を含めた、ほとんどの人が出来ていないと思います。

でも欲のうちの一部は、制御できる気がしませんか。

食事と、睡眠と、運動と。

それが肩の力を抜いて出来るようになったならば、

その時こそが「脱力」の領域。

生きるままに、自分を活かす。

自分に備わるポテンシャルを、

最も美しく発揮できる状態です。



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