漢方治療の心得

漢方治療の心得 14 〜風邪は万病のもと〜

師匠が最初に教えてくれたもの、それは風邪(かぜ:感染症)治療でした。「風邪を上手に治せる人は、慢性病の治し方もうまい。しかし逆はない」。「風邪は万病のもと」だと良く言われますが、この言葉は我々漢方家への訓戒でもあるのです。風邪の治し方は万病の治療に通ずるのだと。

漢方治療の心得 13 〜上達を知る時〜

漢方の上達。何をもって腕が上がったと感じるのか?それを私なりに具体的に言うならば、「共感」の一言に付きます。自分の言っていることが伝わる、という意味ではなく、相手の言っていることが分かる、という共感です。たくさんの方々と共感すること自体が、すなわち成長になる。これは真実だと思う。

漢方治療の心得 12 〜素養と教養〜

私が初めて漢方の勉強を始めた時、まず読まされたもの。それが歴史の本でした。次世代の流行を、新たなイノベーションを作り出す人には、ある条件が必要です。歴史を知っていること。今まで行われてきた文化活動の流れを熟知していなければ、今行っていることの意味も、次の時代に必要なものも、決して見えてこないと思います。

漢方治療の心得 11 〜本の良し悪し〜

臨床家から見て良い本とは、筆者が文章の先に「患者さん」を見ている本です。処方を解説するにしても、理論を説くにしても、病態を説明するにしても、歴史を書くにしても、良い本を記す筆者は、実際に患者さんを見ているという片鱗を滲ませた文章を必ず書くものです。

漢方治療の心得 10 〜名医の表現〜

大塚敬節(おおつかけいせつ)先生は、桂枝加芍薬湯(けいしかしゃくやくとう)中に含まれる芍薬の薬能を「重り」と言った。江戸の名医・山田正珍は、黄連・黄芩の苦味をもって「気を養う」と表現した。漢方家たち何故、このような分かりにくい表現を使うのか。感覚的に理解することこそが、理にかなっていたのである。

漢方治療の心得 9 〜処方に溺れる〜

臨床家は人と処方とを繋げているのではない。人の中から病態を見出し、その病態をもって処方という形を導いているのである。同じ病態であったとしても、ある人は桂枝湯(けいしとう)を用い、ある人は六君子湯(りっくんしとう)を用いる。観るべきものは人中の病態であり、処方ではない。

漢方治療の心得 8 〜自分を治せない人〜

これ、漢方家あるあるなのですが、もともと胃腸の弱い先生には、胃腸の弱い患者さまが集まってきます。もともと冷え性の傾向のある先生には、冷え症の患者さまが集まってきます。先生の体質に近しい方が、なぜか患者さまとしてその先生のもとにご来局される。不思議で仕方ありませんが、何故かそういう現実があります。

漢方治療の心得 7 〜処方に依りかかる〜

薬方は私たちにとって大切な道具です。ただし私たちの本当の力は「的確な想像力」です。そしてその力により生み出した東洋医学的解釈にあります。正しい解釈を導き、それに基づくならば、なにも患者さまを治すものは薬でなくたっていい。「薬だけで治そうとするのは半人前」先代との臍(ほぞ)を噛む思い出とともに、私が大切にしている言葉です。

漢方治療の心得 6 〜一本の線〜

シンプルに考える、ということ。臨床において実際に効果を発揮するために、非常に大切なことだと感じています。「ここがこうだから、この処方を使えば治るよね」これくらいシンプルに考えた時が一番うまくいきます。五行(ごぎょう)だの五臓(ごぞう)だのと、理屈をこねくり回せば回すほど、見えなくなります。すなわち効かなくなる。

漢方治療の心得 5 〜視点〜

八味丸と竜胆瀉肝湯、両者は全く異なる薬です。八味丸には温める作用があります。一方、竜胆瀉肝湯は冷やす薬です。しかし、ある臨床上の視点から見ると、竜胆瀉肝湯があれば八味丸はいらない。新しい見方が出来るようになること、常に視点を変化させること、それこそが臨床家としての上達につながるのだと、私は思います。