○漢方治療の実際 ~腎虚?八味地黄丸?臨床的に正しい理論とは~

2019年12月27日

漢方坂本コラム

○漢方治療の実際
~腎虚?八味地黄丸?臨床的に正しい理論とは~

<目次>

■臨床で使えない漢方理論の蔓延
■「腎は骨を主る」だから骨の変形は「腎虚」である・この理論、臨床的に本当か?
■学問的に重要な理論と、臨床的に正しい理論とは、まったくの別物であるという事実
■臨床家の視点 〜経験に基づく理論構築〜
□八味地黄丸が実際に適応する病
 1.うっ血性心不全への運用
 2.糖尿病への運用
 3.八味地黄丸と「腎気」

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■臨床で使えない漢方理論の蔓延

漢方治療には様々な考え方があります。100人先生がいらっしゃれば、100通りの考え方があるといっても過言ではありません。したがって漢方治療においては「これは正しい・これは正しくない」と断言することがなかなかできません。ただし「臨床的に正しい」という条件をつけると話は別になります。

学問的に重要な理論と、臨床的に正しい理論とは、まったくの別物です。学問として重要だとされる理論の中には、臨床的には正しくないというものがたくさんあります。「臨床的に正しい理論」とは、その理論に基づいて治療を行うことでちゃんと効果が発揮できる理論です。いくら学問的に重要な考え方であっても、それを臨床で応用した場合、現実的に効果が表れない・使えないという理論が漢方の世界では山のようにあるのです。

「ネットや本などの様々な解説でこう言われてはいるけれども、それに基づいて治療を行ってもあまり効果が出ない・・」臨床を経験していると、どうしてもそう思えてしまう理論が確かにあるのです。しかも大変困ったことに、そういう理論がまるで漢方の一般常識のように紹介されていることも少なくありません。

そこで、ここではそんな理論の中の一つを紹介したいと思います。「骨の変形=腎虚(じんきょ)」という考え方についてです。

■「腎は骨を主る」だから骨の変形は「腎虚」である・この理論、臨床的に本当か?

脊柱管狭窄症腰椎椎間板ヘルニアなど、腰痛や下肢の痛み・痺れ(坐骨神経痛)を伴う疾患にしばしば用いられる処方があります。八味地黄丸(はちみじおうがん)牛車腎気丸(ごしゃじんきがん)です。これらの処方がなぜ頻用されているのか。それは「骨の変形=腎虚」という考え方がその根拠になっています。

「腎は骨を主(つかさど)る」

東洋医学の聖典『黄帝内経(こうていだいけい)』の中にある一説です。正確に言うと、ここでいう「腎」とは必ずしも今でいう所の腎臓と同じではありません。近しいものだけれども異なるもの、つまり大同小異という理解がなされてきました。

近年になって骨を丈夫にするカルシウムを吸収するために必要な活性型ビタミンDが、腎臓にて作られているということが発見されました。もし漢方で言うところの「腎」が今で言うところの「腎臓」の機能を包括しているのだとしたら、数千年前から指摘されていた「腎と骨との密接な関係性」が、現代医学によって俄かに信憑性を帯びたことになります。つまり「腎は骨を主る」という解釈は、東洋医学において学問的に非常に価値の高い理論であると言うことができます。

この「腎」が弱りを見せた状態を、東洋医学では「腎虚(じんきょ)」といいます。つまり腎虚を生じると、骨が弱り始めるわけです。さらに腎には「腎は精(せい:生殖機能を維持するために力)を蔵する」という理論もあります。したがって加齢に伴って骨が弱り、そのために骨が変形して起こる諸症状であれば、それはずばり「腎虚」である、となります。

さらにこの腎虚に対してはそれを改善するための処方が用意されています。八味地黄丸や牛車腎気丸、つまり「補腎薬(ほじんやく)」と称される一連の処方群です。中でも八味地黄丸はその出典である『金匱要略(きんきようりゃく)』という書物に「腰痛」に良いと記載されています。そしてさらに痛み止めである牛膝や車前子を加えた処方が牛車腎気丸です。ということは「加齢に伴い・骨が変形して・痛みを生じている」ならば、牛車腎気丸がばっちりです。牛車腎気丸や八味地黄丸が加齢に伴う腰痛や坐骨神経痛・膝の痛みなどに運用されている理由、そこにはこのような明確な根拠があってこそなのです。

ただし、現実は違います。効かないのです。

■学問的に重要な理論と、臨床的に正しい理論とは、まったくの別物であるという事実

例えば脊柱管狭窄症や椎間板ヘルニアなど、腰椎の変形を伴う疾患に対してこれらの処方をいくら使っても、全くといっていいほど効果がありません。それが私自身が経験した臨床の実際です。加齢とともに腎が衰えたという解釈を否定はしません。腎が衰えることで骨が変形しやすくなったという解釈も否定しません。腎が精を蔵し、骨を主どっているという概念、この東洋医学理論を否定するつもりはないのです。しかし、だからといって補腎薬で骨の変形が治るというわけではありません。骨の変形を伴う腰痛や坐骨神経痛に対しては、いくら補腎薬を使っても効果が表れない、それが現実なのです。

『黄帝内経』には確かに「腎蔵精・腎主骨」と書かれています。しかし「骨の変形は補腎によって治せ」とは一言も書かれていません。つまり「腎は骨を主る」→「腎虚ならば骨が弱る」→「骨の弱りによって痛むなら補腎薬」という一連の解釈は、非常に安易な、かつ臨床的に全く使えない理屈と言わざるを得ません。骨の変形が八味地黄丸や牛車腎気丸を服用していたら元の通りに戻った、現実的にそんな都合の良い話があったら私は疑います。学問的に重要であるということと、臨床的に正しいということは、まったくの別物なのです。

こういう理屈が臨床的にまかり通っている現実を考えると、我々漢方家は八味地黄丸が行う補腎とはいったい如何なるものなのかということを、現実的な視点でもう一度見つめ直す必要があります。

■臨床家の視点 〜経験に基づく理論構築〜

八味地黄丸が改善しようとしている腎気とはいったいなんなのか。それを「臨床的に正しい理論」として理解するためには、八味地黄丸が実際に効いたという経験から導き出さなければなりません。「臨床的に正しい理論」をお持ちの先生方は、必ずといっていいほど実際の経験から得た情報をもとに理論を構築されています。少なくとも老化現象を広く「腎虚」として捉えるようなやり方、すなわち「老化現象だから腎虚だね。なら八味地黄丸だね」というような考え方で運用してはいないはずです。

ここから以下は余談です。今回のコラムでお伝えしたかったことは「臨床的に正しい理論」と「学問的に重要な理論」とは違います、ということです。今までの解説でそれは感じ取っていただけたと思いますが、「じゃあ八味地黄丸っていったい何なの?」と思われている方も多かと思います。先に言っておくと八味地黄丸はとても良い薬です。ですので八味地黄丸の名誉を傷つけないためにも、蛇足ではありますが少々これについて解説してみたいと思います。

□八味地黄丸が実際に適応する病

各先生方によって経験は異なります。したがって八味地黄丸をどのように使用しているかということも、各先生方によって回答が異なって当然だと思います。ここでは私が実際に経験したことの一部を紹介してみます。私が八味地黄丸を使い、実際の良い効果を得られた上で得た考察を紹介してみたいと思います。

1、うっ血性心不全への運用

八味地黄丸はまず「うっ血性心不全」のごく初期の状態に効果を発揮します。

「うっ血性心不全」では心臓のポンプ機能が弱ることで血流が停滞し、心臓に直接つながる肺や、心臓から最も遠い下半身などにうっ血からくる浮腫を発生させます。そしてうっ血性心不全が強まるとこれらの浮腫が全身に波及していき、腹部に水が溜まってお腹が腫れたり、心臓性喘息といってゼコゼコといった喘鳴を起こすようになります。

八味地黄丸が適応する病態はこの段階ではありません。これよりもずっと初期に当たるものです。すなわち、足が重いなとか、足に力が入りにくいなと感じ始めている段階、また坂道や階段を登ると最近息苦しいなと感じ始めている段階です。この段階では通常西洋医学的な検査を行ったとしても心機能の弱りはそれほど顕著に表れません。八味地黄丸はそのような未だ心機能に明らかな弱りがあるわけではないという段階において運用する場があります。

うっ血性心不全はいうなれば一種の老化現象によって起こります。産まれてから死ぬまで休むことなく働く心臓は、加齢と伴にどうしても弱りを見せてきます。現代においてはもし心臓に致命的な障害があったとしても、手術などの処置によって回復することが可能です。しかし未だ西洋医学が発達していなかった時代においてはそういうわけには行きませんでした。心機能が弱ってしまうとそれこそ致命的な状態となってしまうため、より早く、より適切に心機能の弱りを見極め、致命的な状態を未然に防ぐという手法が必要でした。そうやって培われた手法の一旦が八味地黄丸の運用なのです。つまり八味地黄丸は老化した状態をもとに戻す処方ではなく、あくまで老化を未然に防ぐという場で用いるべき処方です。

2、糖尿病への運用

次に八味地黄丸が効果を発揮する病は「糖尿病」です。

糖尿病は身体のエネルギー源である血中の糖分を組織に到達させるインスリンの低下によって、血液中の血糖値が高まってしまう病です。そして血管中に過剰に高まった糖分が腎臓にて尿として多量に排泄されるようになります。するとお小水が多量に出ることによって血管中に脱水が起こり、強い喉の乾きを生じて水をたくさん飲むようになります。急激に糖尿病が発生している時にはこのような多尿・口渇が起こります。八味地黄丸はこのような場、もしくはこの状態に陥らせないようにするという場において、効果を発揮することが確かにあります。

糖尿病のコントロールにおいて用いる方剤は八味地黄丸だけではありませんが、歴史的に非常に古くからこの薬能が注目され、さらに現代においても実際に効果を発揮し得るということは事実です。糖尿病治療、そしてうっ血性心不全のごく初期、八味地黄丸運用の一部ではありますが、これらに対して実際に効果を及ぼすことが出来るというのがこの処方の現実です。そしてこれらの事実から「腎気」とは何かを導くこと。そういう手順を行って初めて「臨床的に正しい理論」の構築が始まります。

3、八味地黄丸と「腎気」

そう至った経緯は省きますが、私は八味地黄丸は身体の水分代謝に働きかける処方だと考えています。決して「骨」に注目するべきものではなく、あくまで「水」に注目すべきです。水の貯留を発生させるうっ血性心不全、そして血中の脱水を発生させる糖尿病。「水」という概念の中で処方運用の鍵を見出すべきだと考えています。

水は勢いを失えば上から下へと流れ落ちます。そして水が下から漏れないようにするためにはそれを保持する力が必要です。さらに溜まった水に長時間晒されればサビが発生します。水の循環が弱まれば、それを下で支える栓の開閉にも負担がくるはずです。

ある「水」への着想をもって古人が見出した処方が八味地黄丸であり、そういう中での諸症状にこそ適応できる処方なのだと私は考えます。みなさんに知っておいて欲しいこと、それは「臨床的に正しい理論」を構築していくためにはあらゆる通説に惑わされず、経験に基づいて考えていくという作業が必要だということです。最後は何やら難しい話になってしまいましたが、臨床を行う漢方家がどのように理論を構築しているのか、その一旦を感じて貰えればと思い、蛇足ではありますが私の考察を述べさせて頂きました。長文にお付き合い頂きました。ありがとうございました。

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