たかが下痢、されど下痢。
日常にありふれた症状と言えば、確かにそう。
むしろ下痢をしたことない人の方が珍しい。
しかしそれが毎日で、かつ原因が分からず、
さらに治療を行うも、数年良くならないとなると話は別である。
下痢は原始的な症状である。
漢方でも約二千年前からその治療法が述べられている。
そして今まで何人もの名医が、下痢の治療を述べてきた。
中には長く続く難治性の下痢を、見事に完治せしめた例も多い。
凄い治療があるのだなと、初めの頃私は驚くと伴に不思議に思った。
本当にそんなことが、漢方に出来るのかと。
しかし自分で臨床を始めるようになって納得した。
確かに漢方だからこそ、治る下痢がある。
・
しぶり腹、
という症状がある。
漢方では裏急後重という。テネスムスとも言われる。
便意があっていざトイレに行っても、少ししか出ない。
頻繁に便意をもよおすのに、便がすっきり出ないため、
何度も何度もトイレに行きたくなる、という症状のことを指す。
下腹部の痛みを伴うこともあり、軟便であることが多く、
残便感があるため常にトイレのことを考えてしまう。
大変不快な症状で、感染性の胃腸炎などで一時的に起こることが多い。
ただしこの不快な症状は、感染によらずとも起こることがある。
・
66歳、男性。
体格良く、細身だが筋肉質。
姿勢もよく、見た目に若々しささえ感じる紳士である。
2年前からずっと、しぶり腹に悩んでいる。
常に便意があり、行ってもスッキリ出ないため、
一日に20回はトイレに行っている。便は下痢で、水に固形物が混ざる感じである。
特に困るのは、ガスを出そうとすると、
便も漏らしてしまいそうになること。何回か漏らしてしまったこともある。
ただしガスを我慢しているとどんどん腹が張ってきて、
腹痛が起きてくるため、ガスを出さずにはいられない。
これが毎日のことである。
仕事は外出の多い仕事をしていて、常に近くにトイレがあるわけではない。
切羽詰まった状況になることが多く、日常的にかなり辛い。
それが2年も続いている。病院に何件も行ったが、検査をしても特に問題はない。
結局下痢止めや整腸剤、半夏瀉心湯などの漢方薬をもらうも、全く良くなる気配がないという。
お話を聴いていると、かなり壮絶である。
病院にかかっても匙を投げられてしまうため、
最後の頼みの綱で、当薬局にご相談に来られた。
大変重い症状に思えるものの、
劇中の易を察するのが漢方。
先入観を捨てるよう心掛けながら、詳しく状況を伺った。
・
一見して頑丈そうな体。聞けば、ジムでの筋トレが日課になっているという。
下痢以外では体調に問題はない。良く寝れているし、疲労感もない。
医者にはストレスを指摘されたが、生活に申し分はない。
もちろん下痢はストレスだが、それ以外のストレスは見当たらない。
一度過敏性腸症候群と言われて薬を出された。しかし先に述べたように、それでも解決することはなかった。
想像していた通り、下痢以外に問題はなかった。
生活はきちんとしているし、夜勤はあるものの食事には気を付けている。
例えば酒は10年飲んでいないし、油ものやお菓子も好きではない。
ややストイックなほどまでに体調管理には気を付けていたはずだと、
ご自身でも自負されいる。話を聴くとその通りである。
それでもこの下痢には恐らく理由がある。
話を聞いていて、すこしひっかかる所があった。
もともと汗をかきやすいという。そして最近特にひどい。
それが酷くなったのは、2.3年前ジムに通うようになってからである。
もともとの汗かきが、ジムでさらに大量に汗をかくようになった。
当然、咽が渇く。当たり前のように水をたくさん飲む。
別に苦しくも何ともない。飲んだ後に腹が調子悪くなるわけでもない。
しかし、これを聞いてハッとしない漢方家はいないだろう。
なるほど下痢の原因は、良かれと思ってやっていた生活習慣にありそうだった。
・
便が出難いのであれば、水をたくさん飲むよう努めるのが普通である。
確かにそれで良くなる便秘もある。水分不足のために起こる便秘である。
しかし逆もある。
水を飲みすぎるために起こる便秘である。
腹の中に水がたくさん入っている。するとその水を漏らさないために、肛門には力が入る。
そのため便を出すものの、すっきり出ないという便秘が起こる。
細い軟便が少し出るだけで全部出切らず、
いつまでも肛門に便が残っているようで気持ちが悪い。
さらに腹が張り、ひどいと胃までせり上がってくることがある。
これを古人は「中湿」と呼んだ。
もしこの腹の中に溜まる水を取ることができれば、
便に形がついて、肛門から漏れることがなくなる。
そして肛門の力が抜けて、便が出やすくなり下痢が止まる。
そういう治療が、漢方にはある。
私は患者さまに、この下痢は治る可能性が高いとお話した。
そしてその理由を丁寧に説明した。
その中で水分摂取の過剰を指摘し、飲水は最小限に抑えるようお願いした。
その上で、どの薬を選択するか。
今回は明らかに水分摂取の過剰によるものだが、
そうなってしまうということは、背景に胃腸の不具合はある。
したがって水分摂取を控えるだけでは、おそらく改善は難しい。
そういう場合に使うべき薬が、漢方ではいくつか用意されている。
最も単純、かつ最もシンプル。
無駄をなくして要点だけを突く。
そんな薬を私は一週間分だけ出した。
それで変化が見込めると予想したからである。
・
漢方薬が著効する時、まれに瞑眩という現象が起こることがある。
好転反応ともいう。すなわち良くなる前に、一時的に不快な症状が発現する現象である。
今回の薬、患者さまは一服の後に激しく下痢をした。
腹の中の水が一気になくなるような、激しい水下痢だった。
しかし出しぶることもなく、むしろ腹はすっきりした。
そして次の日から、下痢が全くなくなった。
不思議と咽の渇きも減った気がする。しかも汗のかき方が少なくなったとおっしゃられていた。
腹中の水が取れた。そして水が巡りだした。
腹の張りもすっかり無くなり、便が漏れそうな感覚も、もうなくなっていた。
2年来悩んでいた下痢が、一週間で消失。
患者さまも驚いたようである。ただ油断は禁物だと説明した。
この薬が効いたということは、裏を返せば水の飲み過ぎが証明されたということ。
水分摂取をこれからも注意していただくようお願いし、
患者さまもそれを守りながら全部で三か月服用。
結局の所、あれから下痢が起こることは一度もなく、
互いに完治を認め合い、そのまま治療を終了した。
・
たかが下痢、されど下痢。
排便とは人の根本的な行為である。
だからこそ、それが乱れた時の不快感は想像に難くない。
今回の患者さまにとっても、生活を大きく乱す悩みであったに違いない。
それを漢方で綺麗に止めることが出来た。
しかも今まで何をやっても治らず、病院でも原因不明とされてきた下痢である。
ただしこれは、漢方が他医学よりも優れているということではない。
視点が違う、ただそれだけのことである。
そもそも漢方は原始的な医学である。
古臭い医学といっても良い。
そしてだからこそ、下痢のような原始的な症状に親和性が高い。
日常にいくらでも転がっている、ありきたりで原始的な症状、
そしてそれが、必ずしも治りやすいとは限らない。
そんな時に原始的な視点を持つ漢方だからこそ、
驚くべき効果を発揮することがある。
・
・
・
〇参考コラム
◆漢方治療概略:「下痢」・前編
◆漢方治療概略:「下痢」・後編