症状に振り回されてしまう。
当薬局にお越しになる患者さまに、
しばしば見受けられる状況である。
頭の先から足の先まで、全身の至る所に症状が出る。
とにかく多くの症状に悩まされてしまうため、
何をどう相談したら良いのか、分からなくなってしまう。
とりあえず病院に行き、検査にて問題が見つからなければ、
どこの病院に行っても、うちの科ではないと言われてしまう。
もうどこの病院に行ったらいいのか、分からなくなってしまった、
そういう方からのご相談を、しばしばお受けする。
病院にて診断の付きにくい病であれば、確かに漢方治療は選択肢の一つになり得る。
ただしこの場合、漢方治療でも陥りやすい失敗がある。
治療する側も、症状に振り回されてしまうこと。
たくさんの症状に振り回されてしまうのは、患者さまだけではない。
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3月の中旬、
急に暖かくなり始めた頃。
身長高く、一見体格の良い女性が、
ややせわしない様子で、当薬局にご来局された。
42歳。お子様が三人いらっしゃるため、
隙間時間を空けてのご来局である。
日々の忙しさ、せわしなさは想像して余りある。
そして悩まれている症状も、かなり広範囲にわたっていた。
一番治したい症状は、月経数日前に起こる強烈な胃の痛み。
続いて強い腰痛と下腹部痛が襲ってくる。
痛み止めを飲んで何とかしのいではいるが、
それがまったく効かなくなるほど、強力な痛みがくる時もある。
婦人科では子宮内膜症の疑いがあると言われた。
そして低用量ピルを勧められて飲んだ。
しかし吐き気や浮腫みが出て、辛くて止めてしまった。
さらに月経2.3日目に下腹部痛が強くなると、
熱っぽくなって体がだるくなり、関節痛が起こったりすることもある。
病院でそのことを話したら、
月経でそんな症状が起こることは聞いたことがないと言われてしまった。
心配になって治療を探し、たどり着いた先が漢方だった。
似たような症状が治ったという話を聞いて、当薬局にお越しになられた患者さまである。
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辛い症状は、他にもまだあった。
身体の冷えと片頭痛、そして朝から感じる疲労倦怠感。
そして何よりも、気持ちの乱れが辛い。
かつて若い時に、パニック障害になったことがあった。
今でも体調が乱れると恐怖心が強くなる。
そして不安で動悸が止まらなくなる。
婦人科・消化器科・心療内科・頭痛専門外来と、
今までたくさんの病院に行ってきた。
それでも検査で異常が出ないというのも、不安だった。
家事と育児と仕事とを成立させながらの、
まさしく満身創痍の状態である。
実際に、気持ち的にも大変苦しいと口にされた。
日々の忙しさ、せわしなさだけではなく、
多岐にわたる症状に、生活が振り回されてしまっている。
体も心も余裕がないという、切実な悩み。
それでも私は、
お話を聞きながら、これならばお力になれると感じていた。
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とにかく最も治したいことは、月経直前に起こる胃痛である。
であるならば、胃痛に効く薬を選択する。まずは当帰四逆加呉茱萸生姜湯はどうだろう。温経湯も考えられるかもしれない。
さらに月経に伴う微熱などの風邪様症状があれば、柴胡剤が使えそうである。
かつてパニック障害があったという。やはり柴胡剤で疎肝するべきかも知れない。
しかし疲労感や冷えも強い。であるならば、陰陽気血を補う当帰建中湯あたりも必要だろう。
補うこと、疎通すること、胃腸に配慮できる芎帰剤でいくのか。
ただし症状がここまで多岐にわたると、一つの薬で解決することは難しいだろう。
少なくとも2剤。加味逍遙散と当帰建中湯あたり、同服してもらって様子を見るという選択。
さて、ここまでの考えを聞いて、
どう思うだろうか。
はっきりと言えば、
こういう思考に陥ることを、「症状に振り回される」という。
的確な治療を選択しようとするならば、
知るべきは「症状」ではない。あくまで「病態」である。
体に何が起こっているのか、
なぜこのような症状が出ているのか、
その「病態」を見極めること抜きで、治療方法が定まるわけがない。
かつて昭和の名医たちは、
証に随い薬方を選択する治療、すなわち「随証治療」を説いた。
そして「証」とはその薬を使うための「あかし」だと定義し、
例えば葛根湯であれば、「後背部の緊張や凝り、そして急性熱病の場合は汗が出なくて発熱して強い悪寒がある状態など」を指して「証」と定義した。
ただし病態であるべき「証」は、いつのまにか「症状」にすり替わった。
背中の凝りという症状、汗が無く発熱して悪寒するという症状、
これらの症状が葛根湯を使う「あかし」だと勘違いされるようになった。
私が思うに、これは昭和の大家が伝えたかったことではない。
もし症状を「あかし」だとするならば、
わざわざ「証」という言葉を使ったりはしない。
『傷寒論』に書かれた「証」という言葉に仲景の病態解釈を見据えたからこそ、
この言葉を用い、私たちにそれを示唆したのである。
つまり薬方を選択する根拠は、あくまで症状の裏に隠された「病態」にある。
さて、今回の患者さまについて。
実は詳しく症状をお伺いする前の段階から、
ある程度、生じている「病態」の予測は付いていた。
おそらくこうだろうという印象。
ただしその第一印象が間違えていることも良くある。
確認する上でも、体調を詳しく伺った。
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小水正常。大便は秘結ぎみで硬く、ガス腹になりやすい。
食欲は旺盛。ストレスで過食してしまう時もある。
眠れていはいるが、時に寝つきが悪くなり、
特に手足が冷たいと寝つきにくくなる。
色白で、ややふくよかな体形、
ただし手足、特に肘・膝から先は細い印象。
時に首の付け根の下、肩甲骨の間あたりが、ゾクゾクと冷えてくる感覚があるという。
お話を伺っている中での身体症状、
そしてどこかしら腹が座らないような、浮足立った不安感と焦りを含む口調。
やはり私には、腑に落ちる感覚がある。
ある病態を改善するために作られた処方群がある。
その流れを明らかに感じさせる状態であった。
痰証。
私はこの流れを、そう呼んでいる。
痰証治療の流れに乗せること。まずは、そこから入ることが適切に思えた。
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最初に出した処方は7日分。
患者さまの予定が丁度空いていたことと、
気持ちの焦りに配慮しての短期間投薬である。
結論から言えば、著効といっても良い、そういう結果が出た。
まず深く眠れるようになるとともに、朝の疲労感が減った。
さらに胃のあたりがふわっと暖かくなり、かつ排便が毎日スムーズに出るようになった。
まだ月経前にはなっていない。今のところ主訴が取れているかどうかは分からない。
しかし7日間で起こっている変化としては、薬が適合していることを十分に示している。
気持ちの部分はどうかというと、
やはりまだ不安や焦りは続いている。
ただし前に比べたら、この一週間は強くはなかった気がすると。
ここからが勝負ですよと伝えつつ、
もう一度養生を徹底してもらうとともに、同処方を長めにお渡しした。
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三回目のご来局の際、月経にも変化が表れていた。
胃痛が全く起こらなくなった。
同時にその後にやってくる腰痛も下腹部痛も、かなり軽くてすんだ。
微熱も関節痛も起こっていない。明らかな変化に、本人も驚いていた。
不安や焦りも落ち着いてはいるが、ここは時間をかける必要がある。
比較的早い症状の変化に、本人もこの薬を気に入って頂けたようである。
今後、精神症状も波を打つことが十分考えられるものの、
きっとこの調子でいけば、その波に負けずに続けていくことが出来るだろう。
そう感じさせてもらえたのは、ご本人が良く養生を守っておられるからである。
その頑張りがあればきっと、症状に振り回されることのない生活を、送られるようになるはずである。
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私の使った薬は、一般的に言って月経にまつわる症状を改善する薬ではない。
月経痛も腰痛も、改善させる薬だとはどの本にも書いていない。
しかしこの方の場合、それが良い方向に変化した。
もし症状だけを追いかけていたら、この治療は難しかっただろう。
漢方治療の本旨は、どの薬を選ぶかではない。
どういう病態かを見極めること。
症状に振り回されない漢方家は、時に「薬は何だって良い」と言い放つ。
極端なことを言っているように聞こえるかもしれないが、
この言葉の真意を、深く理解しなければならない。
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【漢方坂本/坂本壮一郎|note】
今回の症例の【解説編】をnoteに記載しております。
使用した漢方薬、また病態の見立てや処方にたどり着くまでの考え方などを解説しています。

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■病名別解説:「慢性胃炎・萎縮性胃炎」
■病名別解説:「月経前緊張症(PMS)」
〇参考コラム:
◆漢方治療概略:「胃痛・みぞおちの痛み」
□機能性ディスペプシア(FD) ~効かせ方の妙・漢方治療の造詣が問われる病~
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