緊張するとお腹が痛くなり、下痢をする。
日常生活がままならず、学校や職場に向かうことが出来ない。
病院にかかるが特に検査上の問題はない。
その結果診断される病が、過敏性腸症候群(IBS)である。
心理的要因(ストレス)が強く影響していると考えられる心身症の一つ。
そういう機能的な病には、漢方薬がしばしば選択される。
特に桂枝加芍薬湯、半夏瀉心湯、大建中湯に関しては、
IBSのガイドラインでも有効性が示唆されている。
これらは上手に使えば良く効く薬ではあるが、
それでも効かない人は、当然いらっしゃる。
少なくとも当薬局にはこれらで良くなる人は来局されない。
なぜならば、すでに病院で出されたけれども効かなかったという人がほとんどだからである。
基本治療で治らない人たち、
であるならば教科書通りに治療しても効くはずがない。
だとすると相当難しい治療になるだろうと想像されるかも知れないが、
実はそうでもないこともある。
過敏性腸症候群という色メガネ、
これを外して観られるかどうか。
東洋医学には東洋医学の見方があると、
初学の頃、最初に教わったことを実感することが度々ある。
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16歳の男子。
来局されたのは、高校一年の夏の終わり。
友人から紹介されて母親と一緒に来局された。
身長170センチほどの、体の細い男子高校生である。
夏休みが明けたころから、学校にいけなくなった。
吐き気と下痢が辛い。
朝6時半に目が覚めると、そこから吐き気が始まり、
ピークは7時頃で、昼の12時を過ぎたころからやっと楽になる。
下痢は最近少なくなった。
しかし調子が悪いと腹痛が起こり、トイレに駆け込み下痢をする。
病院にかかり検査するも問題はなく、
ガスターを出されたが効かず、今はポリフルを飲み始めて少しだけ良くなった。
病院でははっきりとは言われていないが、おそらく過敏性腸症候群だろうと。
夏休み明けに体調不良を起こす子は多い、
久々の学校でお腹が緊張しているんでしょう、という説明だった。
すなわちストレスが原因と言われたが、本人はいたってケロッとしている。
朝の吐き気は辛そうだが、初対面の私にも臆することなく話す男子である。
むしろお母さまの方が心配でしょうがないという印象で、
親に言えないこともあるだろうからと、学校でのストレスを気にかけていた。
元気だった子が、突然学校に行けなくなる。
しかも、原因の分からない吐き気と下痢で。
親ならば心配になって当然のこと。
学校で何かあったのだろうと、考えて当然である。
ただ私は、少し違う気がした。
過敏性腸症候群っぽくないというか、ストレスが腹に来ているようには見えないというか。
どちらにしても、漢方では過敏性腸症候群という病名に薬を使うわけではない。
大切なことは、東洋医学的に何が起こっているかを把握することである。
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結論から先に言うと、
この子は一か月後、まるで何もなかったかのように学校に行けるようになる。
出した薬ですぐに回復したから。
過敏性腸症候群に対する著効、ではあるがこれには理由がある。
患者さまの様子は以下の通り。
まず体格は細く、運動をあまりしなそうな色白の男子。
下痢の形状を聞くと、今はやや形が出てきたが、最初はシャーっという水下痢だった。
この時点で、お、となる。一日2.3回の下痢で、あまりスッキリ出ていない。
続けて聞くと、腹痛は排便をするとなくなり、楽になるという。
私はこの時点で大分納得した。
そして次に聞くべきことがある。口渇の有無である。
案の定、最近特に喉が渇き、寝る前にガブガブ水を飲みたくなると。
ここまでくれば、漢方家ならば簡単に想定できる病態がある。
水分代謝異常。
身体を巡るべき水が巡っていない。
飲んだ水が腹に溜まり、嘔吐や下痢として排出される。
いわゆる「水逆」とか、「水飲内停」と呼ばれる病態である。
そしてよくよく聞くと、吐き気と下痢が起こるようになった前日、
友達と遊園地に行ったそうである。真夏の炎天下に、である。
はしゃいでたくさん遊んだ。当然、大量に汗をかいた。
そして、水をガブガブのんだ。
その次の日から、吐き気が始まっていた。
なるほど、と納得する。
辻褄が合う。むしろ典型例と言っても良い。
言うなれば、これは過敏性腸症候群というよりも、
「夏バテ」が未だに続いている状態である。
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汗をかき、水を飲む。そういう旺盛な水分循環が求められる夏。
もともと胃腸が疲れやすい人は、その旺盛な代謝が維持できなくなる。
その結果として嘔吐と下痢が起こる。そのまま数週間続くことも、決して稀なことではない。
学校に行こうとすると吐き気がして、下痢をするという時点で、
確かに過敏性腸症候群の可能性を考えても不思議ではない。
しかし一度そういう目で見てしまうと、そうとしか見えなくなる。
特に過敏性腸症候群のような機能的な病では、そういう色メガネが治療を惑わせる要因になる。
今回の患者さまの状態、
基本的には五苓散を使うべき状態である。
しかし、以前このような状況で五苓散を出した時に失敗した。
逆に下痢を強めてしまい、患者さまを心配させてしまったのである。
その時は結局一度の下痢で、その後はみるみる回復したが、
とは言えあまり良い治療とは言えない。おそらく変化のさせ方がキツ過ぎたのである。
そういう時に使える薬がある。同じく水の偏在を正す薬ではあるが、
五苓散とは別の手段として重宝する処方。
今回は自信を持って、出した薬は2週間分だった。
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次の来局日、想像通りの結果が出た。
まずは服用を始めて、すぐに下痢が無くなった。
そして腹痛がなくなり、学校へ行きやすくなった。
さらに同時に、吐き気が無くなった。
軽くなった、ではなく完全に吐き気が止まったという。
お小水の量や回数に特に変化は見られなかったが、
体が軽くなったといい、寝起きもよくなっていた。
本人はそう言いながら、さも当然のことのようにケロッとしている。
急に良くなったのに驚かない。私にはその気持ちが、少しだけ分かる気がする。
なぜならばメンタルの問題ではなかったから。体の問題であれば、症状が取れたらもとに戻るだけ。
例えるならば、車酔いが治った時のようなリアクションというか。
だよね、良かったねと、普通に話を進めている私たち二人を横目に、
一番びっくりされていたのは、お母さまだった。
今回、体調が悪くなった理由を、私なりにもう一度説明した。
過敏性腸症候群と疑われることは当然だが、おそらく今回は夏特有の体調不良に起因していたのだろうと。
だから一番重要なことは、夏の過ごし方と、胃腸に負担をかけない食生活であると。
メンタルは大丈夫、十分強いし問題はない。
だから養生を守ることが出来れば、薬は必要ないよ、と。
結局その後出した薬は三週間分。
そして症状の再発が無いことを確認し、治療を終了した。
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通常、過敏性腸症候群は治療に時間がかかる。
数ヵ月で治る、というケースは稀である。
ゆっくり、じっくり、時間をかけながら。そういう治療を念頭に置く必要がある。
ただし、この病の範疇は広い。
疑いという状態を含めれば、東洋医学でもIBSの枠を越えて考えなければならない。
その中で今回のように即効性をもって治るパターンがあり、
今回はその典型例として紹介させていただきました。
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