人は何かを知ろうとした時、
何らかの尺度をもってそれを測ろうとする。
しかしその時、「測るべきもの」が正しくなければ、その尺度は全く意味をなさない。
「本当に測るべきもの」を見極められるかどうか。
それが、漢方治療では常に問われている。
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14歳、女性。
中学2年生の、華奢な女の子である。
中1の頃から朝起きるのが辛くなり、
現在に至るまでずっと、体調不良に悩まされていた。
朝起きると必ず頭痛が起こる。
前額部がドクドクと拍動して痛む。
同時にめまいや耳鳴りも併発する。
学校には行けているが、通えなくなる日も近い、という印象だった。
近くの病院に行き、治療するも治らず、
大きな病院を紹介され、起立性調節障害と診断された。
同時にメニエール病も併発していると言われ、
しばらく昇圧剤や利尿薬を飲んだが、頭痛は依然として変わらなかった。
スクールカウンセラーに紹介されたのが年末。
そして当薬局を予約し、一月早々にご来局された。
身を切るような風が吹く日、
女の子の血色は、土気色を通り越して青かった。
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細々と話すその口調から、
体調の悪さは、聞く前から感じ取ることができた。
頭痛やめまいを伴う朝の不調のみならず、
生来より冷え性で、時に腹痛・下痢の傾向もあるのだという。
さらに寝つきが悪く、眠りが浅い。ぱっと見れば、明らかに「寒」を思わせる病状である。
食欲はあり、食べてはいる。ただし普段から少食で、それほど多くは食べられないのだという。
いよいよ「寒証」が明らかである。さて、どう温めようかと思案していた所だった。
「氷を食べたい」
と、女の子は言った。
「いつも口が渇いて熱い。だから、氷を食べたくなる」と、言うのだった。
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聞けば、お風呂に入ったあとは、特に口の中が熱くなるのだという。
そして冷たい水を飲む。しかもその後、腹痛・下痢が起こるわけでもなかった。
起立性調節障害では良くあることだが、夜間になると体は元気になる。
この子もそうだった。朝に比べれば冷えもあまり感じず、体を動かすことも、それほど厭わないという様子だった。
私は疑問に思った。
これを「寒証」と言うことができるのだろうか。
確かに「寒」はある。
しかし、夕方から夜にかけては、むしろ「熱」を帯びているようにさえ見えた。
「寒」から起こる「熱」、というものも確かにある。
いわゆる「真寒仮熱」。真に寒えると仮性の熱が生じるという現象である。
しかし若干だが、それとも違って見えた。
温めることが危惧される。もし寒証だと断じて熱薬を投じれば、この熱を助長してしまうのではないかと感じたのである。
実は、臨床においてこういうことは良く起こる。
単に寒、単に熱と、きれいに割り切ることが出来ないケースである。
つまり、いくら寒・熱で見ても、理解できないということ。
であるならば。
「寒熱を捨てる」
そうすることで初めて、見えてくるものがある。
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漢方には様々な尺度がある。
その一つが寒熱。漢方治療における基本中の基本である。
しかし時に、この尺度では人体を測ることができない。
温めてよいのか、冷ましてよいのか、寒熱をいくら追いかけても、混乱するだけというケースにしばしば直面するのである。
以前、そう感じた時に私は、「そもそも測るべきものが正しくないのでは」と考えたことがあった。
それから私は、治療において常に知ろうと、心がけているものがある。
「体が求めているものは、何か」
身体には必ず、その時に「欲する」何かがある。
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その何かは、ひとたび病に陥ると、より顕著に体に表れる。
体が自らを助けようとするために、何らかの症状を発現させるのである。
すると体は、確かに寒熱という形を作りだす。
それは見た目にもわかりやすい。不快感として、確かに患者さまも訴えやすい。
しかし、寒・熱はあてにならない。
空に舞う風や雲のようなもので、かならず移ろい、消え、また表れるのである。
逍遥とする現象ゆえに、そこに捉われれば捉われるほど、根を見ることが出来なくなってしまう。
だから、「体が今、何を欲しているのか」を見極めるべきを知ったのである。
体が欲することを救うことが出来れば、寒熱は自ずと消散する。
「救わんと欲す」
『傷寒論』のこの言葉には、着眼するべき含蓄がある。
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寒熱という症候の奥には、この治療原則が、その根に胚胎していると考える。
そう見ると、この患者さまの体から発生している症状は、明らかにそれを表すサインだった。
体がしたいことを、何をして欲しいのかを、全身で表現しているようにさえ見えた。
太陰の刻。漢方の言葉でいうならばそれ。
そしてまず救うべきは、軽浮する正気を受け止める器、だった。
私は5日分の薬を出した。
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江戸時代に、病態の「寒・熱」を否定した名医がいた。
吉益東洞と、その弟子・尾台榕堂。
漢方の基礎的尺度を否定した彼らは、東洋医学史の中でもかなり特異的な存在として知られている。
しかし私は、それが決して奇をてらったものではないと思っている。
ただ、治そうとした。できるだけ的確に、できるだけ多くの病を治そうとした結果として、そう考えざるを得なかったのではないだろうか。
彼らはただ、寒薬(熱を冷ます薬)で温まる冷えを知った。
そしてただ、熱薬(体を温める薬)で冷める熱を知った。
体から発せられる寒・熱は、必ずしも治則に直結しないことを知った。
だから、もっと根本的なものを見ようと、
ただ、それだけのことだったのではないだろうか。
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はじめ出した私の処方はピタリとはまった。
患者さまの体調は日を追うごとに良くなり、1か月後には朝の頭痛がなくなり、夜よく眠れるようになっていた。
ゆっくり・じっくりといった治療が必要となる起立性調節障害において、これはかなりの回復例だといっても良いと思う。
朝、気持ちよく起きられるようになったのが2か月後。
そして体調が良くなり、途中から運動部に入りだしたと、お母さまがびっくりされていた。
それを聞いて私は安心した。とてもうれしかった。
問題なく運動を始められたら、もう心配はない。
本人に自信がついた時点で、投薬を終了した。
全部で3か月。著効と言っても良い治り方だった。
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今回の症例、やや難解に聞こえてしまったかもしれない。
ただ決して難しいわけではない。私の学が浅いから、簡単なことを、難しいようにしか、言うことができなかった。
言葉は難しい。言葉を超えたものがある時は、特に難しい。
人に会い、感じた優しさを寒熱でいえるのか。
天を見て、感じた清々しさを寒熱でいえるのか。
きっと、言いたかったことは、これと同じ。
歴史を紐解くと、時に詩人のような漢方家がいて、そのことに妙に納得する自分がいる。
何かを伝えんとする漢方家は、詩人になるのかもしれない。
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■病名別解説:「起立性調節障害」
■病名別解説:「頭痛・片頭痛」
■病名別解説:「めまい・良性発作性頭位めまい症・メニエール病」
■病名別解説:「冷え症(冷え性)」
〇その他の参考症例:参考症例