歴史に残るもの

2021年06月06日

漢方坂本コラム

田村正和さんが亡くなった。

間違いなく昭和を代表する俳優のお一人だろう。詳しくはないが好きだった。刑事コロンボのオマージュとして有名な三谷幸喜さん脚本の「古畑任三郎」は、当時みんなが好きだったように、私もとても好きだった。

細かい言い回しは忘れてしまったが、昔ある漢方の先生が「三谷幸喜さんの作品が嫌いだ。俳優たちが楽しんでいるだけで、それに何でお金を払わなければいけないのか」というような感想を述べられていた。

当時はそうか、そういう考え方もあるのかと半ば関心した記憶がある。でもよくよく考えると俳優やスタッフが楽しんで作っている作品だからこそ、私にはその楽しさが伝わってくるような気がする。

話の面白さや作品の出来栄えなど、専門的なことは私には分からない。しかし「古畑任三郎」には確かに見ていて「楽しい」という感覚があった。

引き込まれるような楽しさ。特に犯罪者が最後気持ちよく非を認める点、そしてそれを田村正和が優しげな眼差しで最後にニコッと微笑む終わり方が心地よかった。

何よりも、時代を経てもなお違和感なく見ていられるということが素晴らしいではないかと。作品中の古畑警部補のファッションにしてもそうだ。明らかに独特な服装をしている。でも不思議と違和感がない。キャラクターにマッチした素晴らしい演出だと私は思っている。

特徴的な髪型と決してスタイルが良いとは言えない田村正和氏。そんな彼に着せるコートなら、あれくらい肩幅があってむしろ丁度良い。腰の位置だって尋常じゃないほど高い。でも肩幅から計算すれば確かにそこで然るべきである。さらにベルトではなくサスペンダー。コミカルでキャッチーな役所にマッチしている。それでいて感じる印象はちゃんとクラシックだ。私にはすべて計算しているように思える。

そして恐ろしく猫背で前かがみ、手に腰を当てて前を開けつつウエストラインを際立たせている。まるで魔法使いのような出で立ち。これも、私にはすべて計算しているように思える。ただそこに不自然さを感じさせないのは田村正和氏の腕前か。演技がちゃんとキャラクターを立たせているから。あの作品のそんな所に、心から関心するのである。

一つの「型(スタイル)」を作ることは容易ではない。普遍性と特殊性、目を引く個性と違和感の無さとを両立させなければならない。田村正和氏は歌舞伎役者の家系に生まれたことを、今回の報道で初めて知った。なるほどと思った。美意識とその見せ方。歴史に残るスタイルを作りあげられるはずだと、またまた関心した次第です。

ただやはり「古畑任三郎」が見ていて楽しいは、出てくる役者さんがみんな楽しんでいるからだろうなぁと。松嶋菜々子も江口洋介も、玉置浩二も明石家さんまもイチローも、古畑警部補と鋭い言葉を交わしながらみんな楽しんでいる。それが分かるからこそ、今でも愛される作品なんだろうなと。

テーマソングとともにずっと記憶に残る作品に出会えました。歴史と格闘する一人として、心からご冥福をお祈りします。



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