【漢方処方解説】六君子湯(りっくんしとう)・後編

2025年10月28日

漢方坂本コラム

六君子湯(りっくんしとう)・後編

<目次>

浅田宗伯の意図と六君子湯の素顔

■浅田宗伯から見た六君子湯
■浅田宗伯の意図

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※前篇までのあらすじ
『傷寒論』の発症以来、いかに病態を紐解き説明可能にしていくかというテーマをもって発展してきた伝統中医学。その流れをそのまま体現した処方が六君子湯であり、故に説明しやすく・使いやすいというのがこの薬の特徴です。その特徴は我が国に伝わった後も継承され、江戸時代後世派の代表方剤となります。しかしその六君子湯の特徴に異を唱え、本方の本質を見抜こうとしたのが、江戸後期の名医・浅田宗伯でした。

【漢方処方解説】六君子湯(りっくんしとう)・前編

浅田宗伯の意図と六君子湯の素顔

勿誤薬室方函口訣ふつごやくしつほうかんくけつ

【六君子湯】
此方は理中湯の変方にして中気をたすけ胃を開くの効あり。
故に老人脾胃虚弱にして痰あり、飲食を思はず、或は大病後脾胃虚し、食味なき者に用ふ。
陳皮半夏は胸中胃口の停飲を推し開くこと一層力ありて、四君子湯に比すれば最も活用あり。
『千金方』半夏湯のたぐい数方あれども、此方の平穏にしかず。

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浅田宗伯は著書『勿誤薬室方函口訣』において上記のように六君子湯を解説しています。

その内容は前編にて述べた通り、非常にオーソドックスで分かりやすいものです。

あたかも伝統中医学そのものの解説のように一見感じられます。

しかしよくよく読むと、宗伯は違う視点でこの処方を捉えています。

『勿誤薬室方函口訣』の文章の中で注目していただきたいのは以下の箇所です。

・理中湯の変方
・中気を助け胃を開くの効
・千金半夏湯の類数方あれども此方の平穏にしかず

宗伯はなぜこのような言葉を使い、言い回しをしたのか、その理由を考えてみたいと思います。

■浅田宗伯から見た六君子湯

先ず第一に宗伯は、六君子湯を二陳湯と四君子湯の合方とは言っていません

理中湯の変方だと言っています。そして痰を消すとも言っていません

さらに中気を扶けると表現していますが、これは補気という表現を敢えて避けているかのようです。

宗伯の意図を汲みつつ、この文章を意訳してみましょう

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【意訳】

「六君子湯は二陳湯・四君子湯を基本とするのではなく、傷寒論にある理中湯の変方として考えなさい。

胃のもたれなど、胃のつまりを開く効果がある。例えば胃腸が弱く咽に痰が絡んでいるような食欲がない老人とか、大きな病気をしたあと食欲落ちて食事の味がしないというような者。

陳皮半夏は痰を消すと言われているけども、結局胃腸の動きが弱く飲食物が胃に停まっている時にそれを楽にさせる効果が高いから、そういう場合は四君子湯単独で使うよりも六君子湯の方が効果がある。

胃が調子悪い場合、急激に動悸して吐くなど、激しい症状を起こすケース(脚気衝心)もあり、そんな時には千金の半夏湯を使うけれども、その類方の中では効果が穏やかで普段使いに丁度良いという点においてこの方剤の右に出るものはない」

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漢方にはその病態を示す独特な言い回しがあります。

例えば六君子湯で言えば「脾胃気虚」。これは伝統中医学が病態を説明可能にするために積み上げてきた「概念」です。

ただし宗伯は、六君子湯の使い方においてこの脾胃気虚を正確に掴むことを示唆してはいません。

あくまで胃がもたれた時の胃薬として使え、とだけ単純明快にいっているのです。

そして理中湯は胃腸が冷えた時の胃の詰まりや胃の痛みを取る薬ですが、その変方である六君子湯は同じ胃の詰まりでも冷えではなく、老人とか大病後とか、胃腸が弱っている者に良く効くよ、と。

そしてたとえ衰弱が強くても脾胃気虚がメインだから四君子湯にするとかあまり考えないで良いと。陳皮半夏が入っていた方が胃の詰まりが取れやすいから、とりあえず胃に申し分があるなら陳皮半夏を入れておけ、と。

単純明快、理屈を嫌い、至極実践的な使い方だけをここでは語っているのです。

■浅田宗伯の意図

田代三喜が李朱医学を日本に伝えてから、日本でも気血陰陽・五臓などの概念が多く出回るようになり、その考察が進みました。

脾胃気虚・痰湿だから六君子湯だと。脾胃気虚の四君子湯と痰湿の二陳湯を組み合わせたのだと。そういう理屈を掲げれば伝える方としては確かに伝えやすい。

しかし使うほうからしてみたら、それで使いやすいかどうかは別問題です

脾胃気虚って何だ?痰湿って何?、これらは突き詰めてもその答えははっきりしません。なぜならば「概念」だからです。

不確実な概念に縛られず、もっと現実的に、どのような状態に使ったら良いのか。李朱医学ならびにその影響を受けた後世派は、ややもすると説明のための医学になってしまい現実性に欠けるという欠点があります

浅田宗伯はそこを突いています。

宗伯は折衷派であり、当然李朱医学も学んでいるし後世の方剤も使っています。それでもなお、この六君子湯に関しては「古」に戻れと指摘したのです。形而上学的な解釈が過ぎると。

六君子湯は本来、広く使いやすく優しい薬だというのがこ薬の本質的な良さです。だからこそ誰しもが使いやすく、それでいて効きやすいという意味で確かに名方です。

しかしそれを敢えて小難しく理論理屈で考えるのは後世の悪癖、この薬の良さを失うことになります。そういう意図が浅田の文章には込めれれています。事実、六君子湯は浅田の言う通りに使えば、ちゃんと効果を発揮する薬です。

さらにあとに2点だけ。

この浅田の口訣にはさらに深い文脈があります。

理中湯の変方だという点。桂枝湯ではなく、小柴胡湯でもなく、あくまで理中湯の変方だと言っている点が実は奥が深いのです。

桂枝湯も小柴胡湯も半夏瀉心湯も胃腸薬として使えます。しかし六君子湯を使うべきタイミングはそうではないと言っています。

あくまで理中湯だと。腹という受け皿を温め裏を復する理中湯、その変方であることが六君子湯と他薬との鑑別を示唆する重要な手がかりになります

また六君子湯は精神面の症状に効果を発揮することがあります

気持ちがふさぎ込んで晴れないという場合に六君子湯を飲むと気持ちが晴れるという方がいらっしゃいます。香蘇散と合わせて用いられる場合もあります。

こと精神面において温胆湯とは虚実の関係とも言えるでしょう。ドグマチールのような感覚と、ある先生がおっしゃっていましたが言い得手妙だと思います。

四の五の言わずに胃が疲れたら飲む薬。特にもともと胃腸が弱いなら猶更良い。

そういう単純な使い方を許容できるよう生まれた薬が六君子湯であり、そう使われてもきました。

使っているうちにより効きやすい人が分かってくる。他の胃薬との使い方も、経験として分かってくる。そして医学であれば、それを解説可能な形で言語化するべきです。そうやって漢方特有の言葉は生まれてきました。

しかしその言葉はあくまで概念です。伝えられたほうは概念であるが故に、どうとでも捉えることが出来てしまいます。

その概念が示すところを正確につかむためには、やはり自分自身が経験していくしかありません。

すなわち東洋医学では理論が先行することは決して無く、必ず実践という自分自身の経験から理論を紐解く必要があります。

六君子湯の適応病態は脾胃気虚・痰湿です。ただしそう説明すること自体にはあまり意味がありません。

経験から得られた実学を基にすれば、「気」も「痰」も言葉としていりません。

おそらく実学の鬼たる浅田宗伯ならばそう考えても不思議ではない。

そういう想いを口訣に乗せたとしても、全く違和感はないと私は感じます。



■病名別解説:「慢性胃炎・萎縮性胃炎
■病名別解説:「膵炎(急性膵炎・慢性膵炎)
■病名別解説:「便秘
■病名別解説:「喘息・気管支喘息・小児喘息
■病名別解説:「自律神経失調症

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漢方坂本/坂本壮一郎|note

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