■症例:胃痛・胃もたれ

2020年02月08日

漢方坂本コラム

「胃が調子悪くて・・・」

漢方にて不妊治療に成功した奥さまが、その旦那さまをつれてご来局された。

32歳。精悍なお顔をされた、優しそうな旦那さまである。

三日前から、ずっと胃が痛むのだという。

今までもちょくちょく痛むことはあった。
そういう時は我神散(がしんさん:我朮を主成分とした市販薬)を飲むと楽になっていた。

しかし今回の痛みはそれを飲んでも引かない。
何とも言えない不快感でみぞおちが苦しく、致し方ないという様子だった。

私は痛みのきっかけをお聞きした。

「はい、それが・・・」

申し訳なさそうに唇が歪む。自嘲を込めた表情で、痛みが起こるようになった経緯をとつとつとお話になられた。

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患者さまの家ではある家業をされていた。

そして患者さまはその後継者、つまり跡取り息子であった。

他県での修行を経て、その成果を発揮するべく山梨に来られたのが数年前。
そして晴れて家を継ぐため、志(こころざし)をもってお父さまの下で働き始めた。

しかし、これがなかなかうまくいかなかった。

面と向かって言い争うわけでもないし、何か理不尽なことを注意されるわけでもない。
ただ、患者さまから見るお父さまの働き方が、自分の志に反していたのだという。

崇高な理念をもって修行されてきた患者さまにとって、それを見て見ぬふりをしていくためには強い忍耐が必要だった。
そして一晩寝付けなくなったその朝、ついに胃痛が始まってしまった。

どんなに悔しくてもずっと我慢を続けてきたのだろう。何回も叫びたくなる瞬間があったに違いない。
気持ちでなんとかその叫びは抑えこんできた。しかし先に限界を超えたのは、自らの胃の方だった。

私はこのお話を聞いた後、真っ先にこう言ってしまった。「・・わかります」と。

私も家業を継いだ身だった。そして帰ってきた当初は、患者さまと同じように父とうまくいかなかった。
何度叫びたくなったことだろう。胃に我慢をため込む、その気持ちは良くわかる。

これは何とかしてあげたい・・。

感情移入は時として治療の妨げになる。そうと分かりつつ、漢方家としてお力にならねばと思った。

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詳しくお体の状態を伺う前に、まず確認しなければならないことがある。

病院にて検査を受けたのかどうか。患者さまは、まだ病院に行かれてはいなかった。

症状は体のサインである。病根を発見するための重要なシグナルといってもいい。
この場合器質的な疾患が潜んでいる可能性もある。症状さえ取れればいいという問題では決してなかった。

今回漢方薬をお出しするのは7日分。そしてなるべく早く病院にて検査を受けることを約束してもらった。

あとは全力を出して患者さまの胃の不快感を取り除くだけである。

詳しく状態を伺った。

ストレスで発症した胃痛。その背景に暴飲暴食はない。

胃痛は重さを伴う鈍痛で、朝から夜まで継続。
特に空腹時に増悪し、やや嘔気があるという。

みぞおちに膨満感があり、ゲップが出ると楽。
大便は通じているが、やや残便感がありスッキリとは出ていなかった。

冷えて増悪することはなく、手足の冷えも特に感じない。
今はもう寝れないということはないが、やや寝つきが悪く寝汗をかくことがあるという。

試しに「イライラしますか?」と質問した。
それはあまりないですと、穏やかに答えられた。

なるほど・・・想定できる処方はいくつかに絞られる。

まず常道であれば柴胡剤(柴胡・芍薬剤)。ストレスで発症という点から、一般的にはこれらの処方群が選用される。

しかし私は、その想定に違和感があった。

もし柴胡剤を運用するならば、このケースでは「肝気鬱(かんきうつ)」と呼ばれる緊張状態がその根拠となる。

しかし患者さまからは、柴胡・芍薬を必要とする「張り」が、あまり感じられなかった。

ならば、それなりの手段がある。

私は7日分の漢方薬を出した。

求めたのは即効性だった。煎じるときの一工夫も伝えておいた。
あとは漢方薬がどう効いてくれるのか、祈る気持ちで次の連絡をお待ちした。

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7日後、患者さまはご来局されなかった。

実際に来局されたのは14日後。薬局の扉から入ってきた笑顔の患者さまを見て、肩の力がガクンと抜けたのを今でも覚えている。

漢方薬を服用して三日くらいで、胃痛が綺麗になくなったのだという。

飲んだ瞬間、胃がポッと温まった。そしてその後急に眠くなり、朝起きたら胃の調子が明らかに良くなっていた。

あまりに早く楽になったため、胃のことをすっかり忘れ、来局するのが遅れてしまったのだそうだ。
仕事も忙しく、連絡もできずごめんなさいと、丁寧に頭を下げられた。

頭を下げて頂くことではなかった。仕方のないことだし、皆さんそういうものである。

胃も安を得れば、自己主張をしなくなる。その存在を消してくれる。病とは得てしてそういうものである。

そしてきっと、患者さまの志(こころざし)も同じである。
時間が経って状況が変われば、志は表に出る必要もなくなる。その人の骨になってくれる。

私自身がそうだった。父との世代交代の中で実感したことだった。

患者さまと笑顔で話した後、念のため7日分のお薬をお渡ししておいた。
そしてこれを繰りかえすようなら必ず検査をという言葉もお伝えしておいた。

その後、患者さまは何かあった時に今でもご来局されている。

そして現在もなお、志を抱きながら頑張られている。



■病名別解説「胃潰瘍・十二指腸潰瘍
■病名別解説「慢性胃炎・萎縮性胃炎

〇その他の参考症例:参考症例

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