■症例:パニック障害・自律神経失調症

2023年10月06日

漢方坂本コラム

漢方治療では、症状が一つしかないというケースは稀である。

必ず複数個ある。ご本人が気にしていないことも含めれば、相当数ある。

複数症状を同時に解決するというのが、漢方治療の宿命。

であるならばその時、陥りやすい失敗がある。

症状に振り回されること。

数多あまた有る症状に溺れて、本質を見失うこと。

漢方治療は羅列された症状から紐解くパズルではない。

発想が求められる治療。

特に自律神経の乱れにおいては、

この発想力が常に求められている。

50歳、女性。

最初にお会いした時、

その主訴を一番物語っていたのは「瞳」だった。

不安感。

浮腫み、血色の悪いお顔で来局された患者さまの、

治したいことは、とにかく「不安」。

口調に焦りがあり、

落ち着くことのできない、焦燥感がある。

全身の力が抜けるような症状をきっかけに、

不安感が続き、病院ではパニック障害と診断された。

聞けば、さまざまな心労と過労とが重なる中、

4か月前に発症。

それ以来、不安を主として様々な症状に振り回されている。

聞けば聞くほど、

おっしゃっていることに、とりとめがなかった。

自律神経の乱れ。

その典型例といっても良かった。

調子は日によって違う。

ただし、不安感はずっと続いている。

気力が湧かず、生活に身が入らず、

心身の不調が起こることが不安で、

常日頃から、それが恐怖である。

動悸や息苦しさが突然くる。

フワフワしためまいや、頭の重さがある。

特に眉間やこめかみ、後頭部や首筋が突然重くなり、

朝、食事を摂ると、血の気が引き、顔から冷や汗が出てくる。

空腹時に起こることもあるが、

食欲がないわけではない。

むしろ過食の傾向があるかも知れない。

そのためか、常に胃が張って苦しい。

咽の腫れた感じがずっとあり、

狭まっているような、常に圧がかかっているような感じがある。

やや軟便傾向だが、便秘や下痢はなく、

小水に問題はないものの、常に体が重い。

その疲労感たるや、生活を諦めたくなる感覚で、

寝つきも悪く、眠りも浅い。

起きても疲れが全然取れていない。

からだ全体が浮腫み、それでいて口の乾燥がいつまでも続いていて、

更年期に差し掛かっているからだろうか、ここ数ヵ月、月経も来ていなかった。

不安・不眠・動悸・息苦しさ。

頭重・めまい・疲労感に胃のもたれ。

血の気が引く感覚と口乾、咽のつまり。

自律神経の乱れに、更年期の関与も考慮する必要がある。

挙げればきりがない。悩まれている症状のなんと多いことか。

私は患者さまに、思いつくまま全ての症状を挙げてもらった。

上記はその一部。おそらく時間をかければ、よりたくさんの症状が出るだろう。

思いつくままの症状を、全て聞かせていただいたが、

その多さに、患者さま自身が話しながら疲れてしまいそうだった。

そもそも漢方治療は、

症状から病態を把握する。

一つ一つの症状に効く薬を出す。それが基本であり、そういう治療で治れば分かりやすい。

例えば不眠なら、酸棗仁湯さんそうにんとうだろう。

咽の詰まりなら、半夏厚朴湯はんげこうぼくとうである。

不安感があり胃が調子悪いなら、半夏瀉心湯はんげしゃしんとうも選択肢の一つになるし、

症状にとりとめがなく、更年期の関与があるならば加味逍遙散かみしょうようさんか。

不安感を主とすれば、桂枝加竜骨牡蛎湯けいしかりゅうこつぼれいとう柴胡加竜骨牡蠣湯さいこかりゅうこつぼれいとう、また柴胡桂枝乾姜湯さいこけいしかんきょうとう甘麦大棗湯かんばくたいそうとうなど、

それこそ多くの処方が挙げられる。

こうやって一つ一つの症状から、処方を結び付けていく。

しかしそういう治療では、

自律神経の乱れを治すことはできない。

これらの症状は、治すべき症状であると同時に、

体が起こしている悲鳴である。

本質から放たれた「サイン」として捉える。

であるならば、捉えるべきは症状ではなく、その奥にある本質。

そういう考え方をする。そうでなければ、治療が混乱してしまう。

症状に振り回される。

方針のない治療は、数打つ鉄砲と同じ。

そのことを念頭において、臨まなければ治せない。

自身の経験として、これははっきりと言えることである。

症状の裏にある、本質を突けるかどうか。

そして今回にも、その本質がある。

比較的明らかだと言って良く、

私はある段階から、それを患者さまから見て取ることができた。

患者さまの症状は、結局の所、すべての症状が同一の原因に帰結できる。

今回はそこを突けば良い。

不安感という主訴でさえ、その本質からの派生だった。

漢方では、心だけを改善することは出来ない。

いくら不安に効く薬を服用しても、不安にだけ効く薬など用意されていない。

必ず「体」を見る。体と心とが関連しているという着想を持つ。

私が聴いていたのは、あくまで体調。

突くべき体の要点に、ずっと耳を傾けていた。

曰く、呼吸だと。

曰く、血の気が引くと。

患者さまの口からは、要所要所でその要点を自らおっしゃられていた。

「煩驚」と呼ばれる過緊張状態。

今回示していたのは、正にそこである。

すでに1500年前から、東洋医学では指摘されている現象であり、

当時「煩驚」は、間違えた治療によって起こる一時的な病態として紹介された。

しかし、これは継続することがままある。

若干の改良を必要とするが、使うべき処方はある程度決まった。

そしてもう一つ、

今回はいくら的確な処方を選べたとしても、

それだけでは、改善へと導くことができない。

治療は道のりであるということ。

治療には、必ず波を打つということ。

自律神経の乱れを、本気で治そうと思った時、

治療が道のりであるということを、理解することが不可欠である。

服用して良くなった感覚があっても、必ずその後、また悪くなる日が出てくる。

そういう波を打ちながら、自律神経は安定していく。

むしろ、波を全く打たない改善はあり得ない。

治療は症状を無くすことではなく、症状を安定させることである。

例えば睡眠不足や食事による消化管への負担、

また天候や月経、過労や精神的なストレスなど。

多くの変化に伴って、必ず自律神経は乱れる。

一旦落ち着いてきた症状であっても、またぶり返すことが必ずある。

しかし、その時諦めずに治療を続けること。

体の中から調え続ければ、また落ち着く時が必ずやってくる。

一つ一つの波を乗り越えながら、

的確に本質を突き続けた先に、自律神経症状は完治へと到達する。

私がやろうとしている治療、

そして治療が道のりであるということ。

さらに改善への条件となる養生。

そのことを、患者さまにご説明した。

不安を抱えながらも、患者さまには理解していただけた。

納得しながら治療する。この理解と納得が、治療には不可欠になる。

患者さまのリアクションから、まずはスタートラインに立てたと感じた。

あとは道のりを進むだけ。

私は二週間分の薬を出した。

二回目の来局時、

素早い効果の実感に、二人で喜んだ。

まず味が飲みやすく、香りがスーッと心地よい。

そして早々に月経が来た。

同時に頭重が去り、良く眠れるようになった。

胸のざわつきは残っているが、不安感は比較的落ち着いている。

めまいも今の所、起こっていない。

初手の成功。

しかし未だ初手。

ここから先、必要なのが道のりであるという理解。

患者さまにはすでに言う必要はなく、

このまま養生を続けていきますと、笑顔で答えて頂けた。

5か月。

今回の治療にかかった時間である。

かなり早い回復だと言って良い。

当然波を打ちながらではあったが、この速さはもともとの患者さまの強さに起因していた。

生活上、その強さを削るほどの負担があったということ。

そしてその負担を的確に消せたということ。

養生の勝利である。薬方がそれを助けたことも大きい。

患者さまは最後に、自信がついたとおっしゃられた。

自信。不安と対極にある言葉。

患者さまの瞳に、もう不安の色は無かった。

自律神経失調の治療は難しい。

先代である父もそう言っていた。

私もそう思う。だからこそ、

改善へと向かうための手法を、二代に渡って探り続けてきた。

その中で、父は「症状に振り回されるな」という口訣を残した。

そして私は、それを実践するためにはどうしたら良いのかを考え続けた。

未だに考え続けている。自律神経失調の治療は難しい。

ただし臨床を経て、

本質の見方は、徐々に分かってきた。

そう思ってある時、『傷寒論』を見返した。

すると、すでにそのことが書かれていた。

驚いた。しかし、本当はそうではないのだ。

やっと、書かれていることを・・・・・・・・・理解できるようになったのだ・・・・・・・・・・・・・

父と私、

気付くのに二代かかった。



■病名別解説:「自律神経失調症
■病名別解説:「パニック障害・不安障害

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