■症例:頭痛・めまい・冷え性

2021年07月01日

漢方坂本コラム

人は何かを知ろうとした時、

何らかの尺度をもってそれを測ろうとする。

しかしその時、「測るべきもの」が正しくなければ、その尺度は全く意味をなさない。

「本当に測るべきもの」を見極められるかどうか。

それが、漢方治療では常に問われている。

14歳、女性。

中学2年生の、華奢な女の子である。

中1の頃から朝起きるのが辛くなり、

現在に至るまでずっと、体調不良に悩まされていた。

朝起きると必ず頭痛が起こる。

前額部がドクドクと拍動して痛む。

同時にめまいや耳鳴りも併発する。

学校には行けているが、通えなくなる日も近い、という印象だった。

近くの病院に行き、治療するも治らず、

大きな病院を紹介され、起立性調節障害と診断された。

同時にメニエール病も併発していると言われ、

しばらく昇圧剤や利尿薬を飲んだが、頭痛は依然として変わらなかった。

スクールカウンセラーに紹介されたのが年末。

そして当薬局を予約し、一月早々にご来局された。

身を切るような風が吹く日、

女の子の血色は、土気色を通り越して青かった。

細々と話すその口調から、

体調の悪さは、聞く前から感じ取ることができた。

頭痛やめまいを伴う朝の不調のみならず、

生来より冷え性で、時に腹痛・下痢の傾向もあるのだという。

さらに寝つきが悪く、眠りが浅い。ぱっと見れば、明らかに「寒」を思わせる病状である。

食欲はあり、食べてはいる。ただし普段から少食で、それほど多くは食べられないのだという。

いよいよ「寒証」が明らかである。さて、どう温めようかと思案していた所だった。

「氷を食べたい」

と、女の子は言った。

「いつも口が渇いて熱い。だから、氷を食べたくなる」と、言うのだった。

聞けば、お風呂に入ったあとは、特に口の中が熱くなるのだという。

そして冷たい水を飲む。しかもその後、腹痛・下痢が起こるわけでもなかった。

起立性調節障害では良くあることだが、夜間になると体は元気になる。

この子もそうだった。朝に比べれば冷えもあまり感じず、体を動かすことも、それほどいとわないという様子だった。

私は疑問に思った。

これを「寒証」と言うことができるのだろうか。

確かに「寒」はある。

しかし、夕方から夜にかけては、むしろ「熱」を帯びているようにさえ見えた。

「寒」から起こる「熱」、というものも確かにある。

いわゆる「真寒仮熱しんかんかねつ」。真に寒えると仮性の熱が生じるという現象である。

しかし若干だが、それとも違って見えた。

温めることが危惧きぐされる。もし寒証だと断じて熱薬を投じれば、この熱を助長してしまうのではないかと感じたのである。

実は、臨床においてこういうことは良く起こる。

単に寒、単に熱と、きれいに割り切ることが出来ないケースである。

つまり、いくら寒・熱で見ても、理解できないということ。

であるならば。

「寒熱を捨てる」

そうすることで初めて、見えてくるものがある。

漢方には様々な尺度がある。

その一つが寒熱。漢方治療における基本中の基本である。

しかし時に、この尺度では人体を測ることができない。

温めてよいのか、冷ましてよいのか、寒熱をいくら追いかけても、混乱するだけというケースにしばしば直面するのである。

以前、そう感じた時に私は、「そもそも測るべきものが正しくないのでは」と考えたことがあった。

それから私は、治療において常に知ろうと、心がけているものがある。

「体が求めているものは、何か」

身体には必ず、その時に「欲する」何かがある。

その何かは、ひとたび病におちいると、より顕著に体に表れる。

体が自らを助けようとするために、何らかの症状を発現させるのである。

すると体は、確かに寒熱という形を作りだす。

それは見た目にもわかりやすい。不快感として、確かに患者さまも訴えやすい。

しかし、寒・熱はあてにならない。

空に舞う風や雲のようなもので、かならず移ろい、消え、また表れるのである。

逍遥しょうようとする現象ゆえに、そこにとらわれれば捉われるほど、根を見ることが出来なくなってしまう。

だから、「体が今、何を欲しているのか」を見極めるべきを知ったのである。

体が欲することを救うことが出来れば、寒熱は自ずと消散する。

「救わんと欲す」

傷寒論しょうかんろん』のこの言葉には、着眼するべき含蓄がんちくがある。

寒熱という症候の奥には、この治療原則が、その根に胚胎はいたいしていると考える。

そう見ると、この患者さまの体から発生している症状は、明らかにそれを表すサインだった。

体がしたいことを、何をして欲しいのかを、全身で表現しているようにさえ見えた。

太陰たいいんの刻。漢方の言葉でいうならばそれ。

そしてまず救うべきは、軽浮する正気を受け止める器、だった。

私は5日分の薬を出した。

江戸時代に、病態の「寒・熱」を否定した名医がいた。

吉益東洞よしますとうどうと、その弟子・尾台榕堂おだいようどう

漢方の基礎的尺度を否定した彼らは、東洋医学史の中でもかなり特異的な存在として知られている。

しかし私は、それが決して奇をてらったものではないと思っている。

ただ、治そうとした。できるだけ的確に、できるだけ多くの病を治そうとした結果として、そう考えざるを得なかったのではないだろうか。

彼らはただ、寒薬(熱を冷ます薬)で温まる冷えを知った。

そしてただ、熱薬(体を温める薬)で冷める熱を知った。

体から発せられる寒・熱は、必ずしも治則に直結しないことを知った。

だから、もっと根本的なものを見ようと、

ただ、それだけのことだったのではないだろうか。

はじめ出した私の処方はピタリとはまった。

患者さまの体調は日を追うごとに良くなり、1か月後には朝の頭痛がなくなり、夜よく眠れるようになっていた。

ゆっくり・じっくりといった治療が必要となる起立性調節障害において、これはかなりの回復例だといっても良いと思う。

朝、気持ちよく起きられるようになったのが2か月後。

そして体調が良くなり、途中から運動部に入りだしたと、お母さまがびっくりされていた。

それを聞いて私は安心した。とてもうれしかった。

問題なく運動を始められたら、もう心配はない。

本人に自信がついた時点で、投薬を終了した。

全部で3か月。著効と言っても良い治り方だった。

今回の症例、やや難解に聞こえてしまったかもしれない。

ただ決して難しいわけではない。私の学が浅いから、簡単なことを、難しいようにしか、言うことができなかった。

言葉は難しい。言葉を超えたものがある時は、特に難しい。

人に会い、感じた優しさを寒熱でいえるのか。

天を見て、感じた清々しさを寒熱でいえるのか。

きっと、言いたかったことは、これと同じ。

歴史を紐解くと、時に詩人のような漢方家がいて、そのことに妙に納得する自分がいる。

何かを伝えんとする漢方家は、詩人になるのかもしれない。



■病名別解説:「起立性調節障害
■病名別解説:「頭痛・片頭痛
■病名別解説:「めまい・良性発作性頭位めまい症・メニエール病
■病名別解説:「冷え症(冷え性)

〇その他の参考症例:参考症例

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